♪【レニー来航】♪
なんて歌だ!
いや、これが今年のももクロ高城れにさんのソロコン日“3月9日”にリリースされた新曲の題名なんですが、“ペリー来航”をもじっていますよね。
そもそも嘉永六年(1853年)、ペリー提督が浦賀に来航し、日米和親条約⇒日米修好通商条約を経て、横浜港が開港したわけですが、もともと諸外国は神奈川湊の開港を求めていたようです。しかし当時の神奈川は東海道の宿場町だったので、当時の幕臣らは対岸にあった武蔵国久良郡岐横浜村に開港したのだとか。
いろいろあって、結局そのまま外国人居留地が出来たりと横浜は発展していって、そのままめでたく横浜港ですと。
1859年7月1日(安政6年6月2日)に横浜港は開港、なので今でも6月2日は横浜の開港記念日です。
そういえば、横浜開港祭として、パレードやら色々やってたのをtvkで見たような気がします。
ただ、正式に今のような開港祭が開催されるようになった頃には自分は既に東京に越していたので、正直あんまり馴染みはないのですが…。
でもそう考えると、今から170年前にもしペリーが来航しなかったら…
もし横浜ではなく神奈川が開港していたら…
と考えると、この歴史の“紡ぐ物語”の末にハマっ子高城れにが横浜魅力発信アンバサダーに就任したことも奇跡なのかもしれません。
そして今年の3月9日、Yokohama開高祭にあわせてリリースされた曲がこちら↓
【レニー来航!!】
横浜愛に溢れた歌詞なので、歌詞を紹介しつつ、勝手に自分の思うところを書いてみたいと思います。
【レニー来航!!】
高城れにwithサイプレス上野とロベルト吉野(応援団長と旗手長)①
作詞:ポチョムキン・YOSHI(餓鬼レンジャー)・森 鴎外②
作曲:KOJI oba・南 能衛.
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三代続けば江戸っ子?三日住めばハマっ子?
横浜最高です、レニー来航!!
(※)全てが繋がり 紡ぐ物語
黒船来航開港が始まり
開放的なこの街 きっと君とも友達
3日住めばハマっ子だべ③ Let's Dance with YOKOHAMA
今日も中華街 竜が舞い 露払い④
この街最強 揺るがない
酉の市なら片岡 縁起熊手
シーパラで鑑賞 電気クラゲ⑤
超オーシャンビュー 大さん橋
気づけばれにちゃん Around 30
ポルタで食べた ナタデココ⑥
この街で育った 鋼少女
放課後にクレープ丼かぶりつき
プリクラ激写してジャムピクシー
夢語り合ったSOGO屋上⑦ 仲間と駆け上がるソロも目標
Thank You(3.9) 県民ホール 元気にCall⑧
(※)繰り返し
されば港の数多かれど
この横浜にまさるあらめや⑨
いつまでも工事の横浜駅 改札を抜けたらこのざわめき⑩
みなとみらい左すぐ横目に ランドマークタワーからは木漏れ日⑪
桜木町経由 飲むなら野毛 激辛OK 締めは三幸苑⑫
薔薇園超えて 集合山下公園⑬
(※)繰り返し
ただいまおかえり ありがとうを届けに
忘れモノ取りに来たみたい
いつもの この感じ 笑顔でハイタッチ⑭
みんないれば最高だべ Let's Dance with YOKOHAMA!
食パン ナポリタン
鉄道に電話
ホテル 銀行
高城 ベイスターズ
全て横浜
全てここから
我ら横浜
我ら横浜⑮
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①以前にも書きましたが、サイプレス上野さんとロベルト吉野さんは、おそらく自分の横浜時代に通っていた小学校の後輩です。
戸塚区のドリームハイツに住んでいた(今も住んでいる?)ご縁もあり、このレニー来航の応援団長と旗手長を務めてくれました。
②森鴎外の名があるのは、この歌の歌詞の一部に横浜市歌が引用されているからなんですね。でも森鴎外の名が入ると、少し趣がでますね。
③あまり「だベ」という語尾には馴染みがありません。「だベ」や「だんべ」は横浜というより、湘南の平塚や藤沢のほうに多いような気がします。
SMAPの中居氏も「だベ」を使ってたと思うのですが、確かハマ出身ではなかったはず。
大学時代の同期のS君が平塚出身だったのですが、よく「~だベ」を使っていました。
どちらかと言うと横浜は「だベ」より「じゃん」だと自分は思っていたのですが。
よくあーりんが「~じゃん」って言っていますが、あれこそハマ弁じゃないのかな?
小3の時の同級生のU君は口癖のように「~じゃん」「~じゃんか」とじゃんじゃん言っていました。
でも戸塚は山の上のほうなので、横浜の港近くは「だベ」なんですかね?
④中華街
龍が舞っていました。さすがこの街最強!コロナ禍もおさまり、とても賑やかでした。
⑤八景島シーパラダイスへは、2017年の4月、ももくろちゃんZの公開イベントで行きました。
夏菜子ちゃんとしおりんがイルカに乗ってショーをしたりとなかなか楽しいイベントでした。
残念ながら、電気クラゲは…見た記憶がありませんが、大きなプールで白いイルカを撫でた覚えがあります。
その時の思い出の写真を何枚か…
⑥横浜ポルタ
横浜駅にある地下街の名前です。昔は【ダイヤモンド地下街】というのがあって、その中にある『横浜模型店』というのが小学生の自分のお気に入りのお店でした。
戸塚駅近くの【菊やデパート】の中にある模型店か、ダイヤモンド地下街の横浜模型店のどちらかがよく行く模型店でした。【ポルタ】があるのは【ダイヤモンド地下街】の反対側で、横浜そごうのある側。
当時はまだそごうはなかったので、どちらかと言うと【高島屋】や【ダイヤモンド地下街】、【相鉄ジョイナス】のほうが思い入れがあります。
そして今はもうナタデココ屋さんはなくなっていることと思います。ええ、一応ポルタに行った時に探してみました。
⑦横浜そごう
⑧神奈川県民ホール
高城れにさんは過去に2回、ソロコンをここ神奈川県民ホールで開催しています。
県民ホールへは過去に4回行きました。初めて行ったのがミュージカル【果てしない物語】を観に行った時。森尾由美さんが“オグラマール姫”の役で出演されていたので千穐楽に鑑賞に行きました。
あとは姪っ子のバレエの発表会で行ったことも。
そして一番忘れられないのは、やはり名古屋から初めて関東で開催された時のソロコン。
色々とあって一生忘れられない思い出となりました。
(チケット落とす・大丈夫・ハイタッチ空振り)
⑨横浜市歌
横浜市立の小、中学校では、始業式だとか終業式で毎回歌って(歌わされて)いました。
実は自分の通っていた小学校は比較的新設された学校だったので、当時はまだ校歌がありませんでした。自分が転校した後の小6の時に校歌が制定されたようで、おそらくサイ上ロベ吉コンビがあまり横浜市歌を歌っていないのは、徐々に校歌斉唱に移行されたからなんでしょう。
自分がいた頃は校歌ではなく横浜市歌でしたし、その名残で今でも歌えます。
ただ、東戸塚出身の上司曰く、あまり横浜市歌は歌った記憶が無いとか。横浜市内でも色々ですね。
⑩横浜駅
戸塚の山の上に住んでいた当時、横浜駅は都会の象徴でした。
ドリームハイツは買い物できるところがあんまり無くて、だいたいがスーパードリームか旭マートで買い物です。
ちょっと足を伸ばせば原宿町の南マート、戸塚や大船の駅まではバスで行かねばならなくて、更に乗り換えて戸塚→保土ヶ谷→横浜でようやく行ける場所でした。
横浜駅では当時相鉄ジョイナス(?)にあった映画館と、馬車道にあった横浜東宝、そして『薔薇の包みの高島屋~🌹』
ホント長野の田舎から越していたのできたので圧倒されまくっていました。
⑪横浜ランドマークタワー
⑫桜木町~野毛
桜木町~日ノ出町に向けて歩くと野毛と言われる辺りのようです。
が、あまり馴染みはないなぁ…。
今度探索してみます。
⑭ハイタッチ
初めて生の、動いているももクロを、高城れにさんを拝んだのが2023年4月『ももクロ春の一大事~星を継ぐももin西武ドーム大会』の時でした。
おお!生きてる!動いてる!といたく感動しました。
ただこの時はスタンド席からステージ。それでも感動したなぁ。
(第一種接近遭遇)
間近でみたのは【幕が上がる】の試写会の金沢。ほんの数メートル先を歩くタカさんに声をかけた瞬間は今でも目に焼き付いています。その後もタクシーの窓を開けて手を振ってくれ、ああ、金沢まで来て良かった!と思いました。
(第二種接近遭遇)
そしていよいよ第三種接近遭遇です。お見送りでのハイタッチです。
kwkmさんがいわゆる“はがし”をしているのが確認できました。
ここは厄介ノフにならないよう、さりげなくすぐに去らねば…なんて考えていたら(以下省略)
⑮ベイスターズ
自分は小4から阪神ファンなのですが、小6で東京に越したあたりの頃に横浜スタジアムが完成しまして、川崎球場から移転して横浜大洋ホエールズが誕生しました。小学校の卒業旅行で久しぶりに戸塚に来てみたら、クラスメートの男子の多くが“W”のマークの入った帽子をかぶっていたのを覚えています。
阪神から大洋に鞍替えした奴がずいぶんいました。
横浜DeNAベイスターズも高城れにもここYokohamaの地で誕生しました。
とまあ勝手に書き綴りましたが、とにかく横浜LOVEで、そんな横浜LOVEなタカさんもLOVEなのです。