生まれは東京の北区,十条ですが、物心ついた頃には栃木県の宇都宮市に引っ越し、そこで幼稚園に入園しました。
5歳になる誕生日に長野県の伊那市に引っ越し、そこで幼稚園を卒園し、伊那小学校に入学。
2年に上がる春に横浜の戸塚に引っ越しました。
そして横浜市民として小学5年までを過ごし、6年生になる時に“活動拠点”の東京に越して(戻って)きました。
何もない、しかし自然は豊富にある伊那から横浜に越すにあたり、仲の良い同級生は「ヨコハマ~たそがれ~♪」などと精一杯の五木ひろしのモノマネで歌ってくれました。
自分はヨコハマに引っ越すと聞かされて思い浮かべたのがいしだあゆみさんの
「マチのあかりが~とても綺麗ねヨコハマ~♪」
の方でした。
青江三奈さんの「伊勢佐木町ブルース」を思い浮かべなかったのは、伊勢佐木町が横浜だとは知らなかったのと、そもそもその歌をまだ知らなかったのでしょう。
しかしどちらにせよ、伊那の田舎で“ヨコハマ”の響きへの憧れと怖さのようなものを思い浮かべた覚えがあります。
横浜に越した日はまだ家具が届いておらず、テレビが観られず暖房器具も無く、なんかひもじい思いをした記憶があります。
自分が越したのは横浜でも山の上のほう、戸塚区です。
東海道線・横須賀線の戸塚駅から更に神奈川中央交通バス(通称カナチュウ)で20~30分ほど行ったドリームハイツというところに住んでいました。
長野の伊那から神奈川に転勤するにあたり、父は子供達にこう聞きました。
「今度の新しい家、海の近くと遊園地の近く、どっちがいい?」
3人の兄弟は満場一致で「遊園地!」と答えました。
まあ兄が小6、自分が小2、弟が幼稚園でしたから、やはり遊園地の魅力にはかなわなかったのでしょう。
当時、父の転勤先が藤沢だったので、海の近くとはいわゆる“湘南”と呼ばれる地域への引っ越しだったかもしれないのに、結局横浜の山の上、戸塚区に越しました。
団地の名前が“ドリームハイツ”♪
なんか凄い名前ですが、ドリームランドのすぐそばということでこの名前がついたのでしょう。
このドリームハイツ、1~4号棟が横浜市の市営、5~23号棟が神奈川県の県営の団地でした。
県と市の住宅の造りも少し違っていました。
で、我が家は市のドリームハイツに引っ越し、しかも上層階。
先ほど書いたように、ここドリームハイツは山、というか丘の上に位置していたので、我が家の棟のベランダからはとても良い眺めで、天気の良い日は遠くに海が見え、夜は夜景がそこそこ綺麗でした。
ときおり「ピカッ」と灯台の光が照らしているのがわかり、夏の夜の眠れないときなどはそんな景色を見ながら育ちました。
次に横浜ドリームランドについて。
横浜ドリームランドは、なんだか立派な凱旋門があり、立派な庭園を通り、イギリスの兵隊さんみたいなのが入口に歩哨として立っていて、長野の田舎から越してきた子どもにとっては本当に“夢の国”でした。
原宿町の交差点にあった、今は無き【横浜ドリームランド】の看板↓
こんな格好の兵隊さんが本当にいつも立っていて、交代の時もちゃんと儀礼っぽいことをやってから交代していましたね。
この兵隊さんはじっと動かずに入場口に立っていたのですが、我々悪ガキはこの黙っている兵隊さんにちょっかいを出して、なんとか動かそうとしたり、笑わせようとしたりといたずらばかりしていました。
当時の兵隊さん、ごめんなさい。
当時はTDRのフリーパスみたいに乗り物乗り放題なんてのはなくて、入園券を購入すると、それに3種ほど使える乗り物券が付いていて、更に乗り物に乗るにはチケット売り場でチケットを購入するスタイルだったと思います。
アトラクションは、大観覧車、ボブスレー(ジェットコースターの緩い版?)、大海賊船、潜水艦、ジャングル探検隊なんかがありました。
お化け屋敷もあったのかなぁ?
子どもだったからビビッて入らなかったからあまり記憶にないのですが。
ここで少しお恥ずかしい話を。
実は東京ディズニーランドというものにはオープンしてから行く機会に恵まれず、初めていったのは開園5周年の時でした。いきなりスペースマウンテンに乗り込み、マジで死ぬかと思い、TVで関根勤と明石家さんまが話していたのを聞いて仲間に頼み込んで【イッツアスモールワールド】に付き合ってもらったのに別に思ったほどではなかったという…。
そして【カリブの海賊】。
ん?これ横浜ドリームランドの【大海賊船】じゃん!
【ジャングルクルーズ】?
これも横浜ドリームランドの【ジャングル探検隊】じゃん!
カバでピストル鳴らすとこまで一緒(笑)
当然自分の中では新参のTDL、(なんだよ、横浜ドリームランドの二番煎じかよ)なんて思ってしまったのですが、元々本家アメリカのディズニーランドをパクったのがドリームランドなので、いくら新しくても本家を継承している東京ディズニーランドのほうが本筋なのは間違いないのです。
でも、すぐ目の前がドリームランドという環境に住んでいても、 楽しみに遊びに行ったのは、ものの半年ほどしかなかったと思います。
後に誕生した、『日本初の360°回転のコースター“シャトルループ”』も当時はまだ無く、大海賊船、ジャンル探険隊、潜水艦などは せいぜい2~3回見れば飽きてしまうのです?
それに横浜ドリームランドのほうで、ドリームハイツに住んでいる小学生用に夏の間自由に使えるフリーパスというのを販売してくれました。
個人の顔写真入りで、そのパスがあるとドリームランド入場+レインボープールが夏休みの間自由に入れます。
なのでその間にドリームランドは遊び尽くしていたといっても過言ではありません。
このレインボープール、冬は氷を張ってスケートリンクにしていました。
伊那で育っていたのでマイスケートシューズを持っていて、それで滑っていたのですが、ある日、高校生位の人に「こいつガキのクセにスピード履いてやがる」
と言われたことがありました。
そんなこと言われても伊那ではみんなこの靴だったし、そもそもスケートシューズに“スピード”、“ホッケー”、“フィギュア”があることすら知りませんでした。
懐かしい思い出です。
それにこのレインボープール、よく芸能人が来て、テレビ番組のロケ撮影もしていました。
ずうとるびショーとか、せんみつ湯原とか(笑)
西城秀樹が来たときは凄かった♪
女性客でプールサイドがびっしり埋まってました。
ケンちゃんシリーズのオープニングでも、よくドリームランドの凱旋門が写ってました。
思い返すと色々出てくる懐かしい思い出~♪
てことで、久しぶりに横浜の戸塚に行ってみました。
きっかけとなったのはこの番組。
【出没!アド街ック天国】の特集が“横浜駅”だった時。


そう、この生粋の横浜生まれ、横浜育ちの菩薩の話を聴いていて、無性に懐かしくなったのが1つ!
ノフ仲間には話していたのですが、高城さんが横浜市民だということは、きっと横浜市歌を歌えるはす!
間違いない!
と力説して笑われていたのですが、実際にこの番組で横浜市歌が紹介されて、面目を保てました!
そんな風で、機会があったらゆっくり横浜駅の周辺をぶらぶらしたいなぁ、なんて考えていました。
そんな折、この前【パシフィコ横浜】でのEVIL A LIVE でのこと。
参加していたアーティストの中に【サイプレス上野とロベルト吉野】という二人組がいて、この二人について色々調べてみると、この二人のアルバムに【ドリーム銀座】というのがありまして、え?ドリーム銀座?と思った訳です。
このいかつい二人組が【サイプレス上野とロベルト吉野】さん

いや全国に○○銀座なんてのはそれこそ無数にあるでしょうから、ドリーム銀座という名の商店街なんてのがどこかの地にはあって、偶然かもしれない。
いやでもこの字体はなぁ…
とひっかかり、気になって更に調べてみると…
おお!どうやらこのドリーム銀座とは自分が思い浮かべていたドリーム銀座で間違いなく、このサイプレス上野とロベルト吉野の二人はどうやらドリームハイツ出身らしいのです。
この二人がきっかけとなり、結局横浜駅周辺をぶらり→ドリームランド跡地をぶらりに変更して行ってみることにしました。
前置きが凄く長くなりましたが、横浜みなとみらいに行ったついでにドリームハイツへ~♪
桜木町から横浜に戻り、そのまま東海道線で戸塚駅へ。
駅周辺も昔の面影は無く、随分発展しています。
神奈中バス~
この辺の公園に昔富士山型の滑り台があったような…

この通りの先に旭マートがあった。
後でのお楽しみ。

なんのことない場所ですが、この辺、ドリームハイツからドリームランドに抜ける道があって、抜けて右側にスーパードリームという円形のスーパーマーケットがあって、その横にハンバーガーやらソフトクリームを売っていた小さなお店もあったんですよ。
それにこの辺りでドリームランドのパレードに参加する鼓笛隊?的なチームがよくバトンの練習をしていて、小5の時に好きだったこがそのチームに入っていて、この辺で練習してたんですよね。
でも今は面影無い。
そのまま、昔住んでいた棟に行ってみました。
このご時世、エレベーターの中やらあちこちに防犯カメラがついていましたが、まあ昔の知り合いも住んでいるだろうし、そのまま住んでいた上階へ。
懐かしい~…ではなく、やはり違います。
左側にホテルエンパイア、その下にはおしゃれな飲み屋が点在していて、正面にはホテルドリーム。
その横にはボウリング場。
円形のパチンコ屋もあって、その右にはドリームランドの駐車場が広がっていました。
しかし今は見慣れない風景。
残念ですけど仕方ありません。
ご近所さんは今でも住んでいるようで、表札は同じままでした。
細かい形こそ変わってしまっていますが、あの
形態、あの高さ、やはり懐かしいです。
ちょっと寄れば良かったけど、バスが来たので寄らずに帰りました。
昨年長野の伊那に戻った時には街の変わらなさに感動したものですが、やはりドリームハイツで育ったものからすると、ドリームランドが無くなってしまうって大きいことで、何故こんなに近くに住んでいながらもっと早くに来なかったんだろう、と後悔しています。
10年ひとむかしで考えたら“4むかし”も前の話ですし、寂しいけど仕方ないですよね。
でも久しぶりに懐かしかったです。
あ、帰りに横浜でシウマイ買うの忘れた💦
ま、いっか