二年前の今日、マトちゃんは入院した。
生後8ヶ月だったのでそれほど多くはなかったかもしれないが、それまでできていたことがみんなできなくなってしまった。
あの日、あの頃は、戻ると思っていた。
幼ければ幼いほど脳の可塑性によって回復する可能性が高いと聞いたことが希望だった。
罹患して1ヶ月後には座った、立った、歩いた…同じ病気をした子の、そう書いてあるブログの中の子と目の前の我が子を比較して、大丈夫きっと同じように回復してくれると祈った。
早期に回復された子の情報は、希望でもあったが残酷でもあった。
2ヶ月も経つ頃には、我が子の回復はその子たちよりずっと芳しくないことが嫌でも分かった。
「まだ分からない」
と気を遣って言ってくれたのだろうか、本当に分からなかったのか、今は知らないけれど、なんの気遣いもいらないから率直な話が一番聞きたかった。
去年の今日までの1年間はこの1年間できっと立つんだ歩くんだと希望を持っていた。
しかし発達のスピードの遅さをまざまざと見せつけられるような1年で、辛く長かった。
それと比較し、今年の今日までの1年間は、去年までの1年間より数倍とも思えるほど速かった。
去年までと気持ちの点で変わったことといえば、
彼の将来、地域の小学校に通うことはできないだろう。
勉学や労働をすることは難しかろう。
そう考えるようになったことかもしれない。
1年前は、たぶん無理だろうと思っていながらも心の奥底では万が一…もしかしたら…という気持ちがあった。
「希望を持って」
と言われることがある。
希望を捨てたわけじゃない。
悲観したいわけでもない。
ありもしないことをさもあるかのように期待し望むことを希望を持つことと思えないだけだ。
二年かけて、今の彼の発達のスピードやこれからの展望がやっと分かってきた。
普通の子のような将来が見えることはないけれども、だからと言ってそれを不幸だとも思わない。
障害があっても自立することができる人もいる、でも我が子はたぶんそうじゃない。
未来について、母親として冷静に見てしまうこと、明るい未来ばかり話せないことを悪いことのように責めないで欲しい。
脳症後3年目、これからの1年は去年よりまた一層速く過ぎるのだろうか。
できることなら、彼にとって実りある楽しい一年になりますように!
遠くを見ている。
どう見えているのだろう。