
はい、では翌日3日目から行きましょう! 再びサマルカンド内を中心に巡ります

紙工場内を見学ってことで立派な庭園もあるのですが、何やら再び高圧ショッピングへ誘導される臭いもしてきました

トルコの時みたく、職人さんが観光客の前で桑の木の枝を捌くのを披露されてました

手作りの紙体験、 自分もこの後、ゴシゴシと少しだけ体験させてもらいました

トルコの時のトラウマがあり、「さぁ 売り込みタイムきたか
」と警戒していたものの、意外と押し売り圧力は低くて、肩すかしをくらった感ありでした
ツアーに付き物と思われた高圧ショッピングも国によりけり
という事が今回のツアーで判明しました

一応、サマルカンドにもこの様にタジキスタンっぽい遺跡の野原がございますが、近年建てられた建物がポツンとある感じで、これには興ざめた感ありでした・・・
(写真中央は他のロシア人の団体ツアー客達)

サマルカンド市内の大型スーパーマーケットで普通に買い物もツアーのコースには含まれておりました

ま、大規模スーパーマーケットですが、買い物中、停電が発生して、しばらく真っ暗になりました
電力供給は停電するあたり、まだまだ途上段階にあるともいえますね

夜のライトアップされたレギスタン広場をゆっくり観賞というのもこの日のコースの目玉だったのだけど、雨がこの日も降ってきて、短時間で切り上げる羽目になりました
初日、二日目も一人でこっそり出かけてじっくり見といて正解だと思いましたね

さぁさぁ、3日目もおしまい 早く寝るのですよ あなた達
この後、雨が止み、じっとしてられない僕は再びレギスタン広場周辺の酒場へ繰り出しましたとさ

4日目最終日のスタート この頃には、我らが精鋭11名、色々感じながらも仲間感が醸成されてきておりました

前回、前々回書いてきた ツワモノ
や 地雷BBA①号
の他、 アメリカで40年間過ごして、離婚後、日本に帰ってきて独り暮らしてる地雷BBA②号
や 今回のツアーでタジキスタンには興味がないから、と同意書に署名して自己責任の元、ひたすらサマルカンドのみを堪能した 裏技淑女
等、いろんな精鋭様が他にもいましたが長くなるのでここでは割愛いたしますね

はい、ここはタシュケントの日本人墓地です。 第二次大戦でロシア軍の捕虜になった、我らが日本兵のご先祖様が眠る墓でございます

見えにくいですが、石には其々名前が刻まれておりました
ここに眠られる方々のその勤勉な働きぶりに心打たれたウズベキスタン人は日本人に畏敬の念を抱いたんですね
その日本兵先祖様達が建築されたのが、この「ナヴォル劇場」です

今日まで、修繕されながら維持されてますが、大地震が起きてもビクともしない造りになっているそうです

ラストはタシュケント唯一の地下鉄に乗ります。 日本人集団は我々のみで、それなりにこちらへの視線を感じましたね
昨今のこの国への旅行ブームからか、そこまで日本人も珍しくなくなってきてる感もありましたが、それでも、紙工場見学ではウズベキスタン人の女性団体旅行者が、にこやかにこの僕をじっくり動画撮影してきたのも印象に残ってます
(自画自賛じゃなくて、典型的なモンゴロイドはやはりまだ少しは珍しさもある
ってことね
)

アミール・ティムール「さぁ諸君最後の飯じゃぞ
」

今回、6日間というツアー表記でしたが、移動日が含まれるので、実際はほぼ丸4日間の現地旅行でした。
それでも、ずっと一緒に行動していると、やはり仲間意識は生まれるものです

「あぁ、この国での食事もこれが最後かぁ・・・」と最後までしっかりと残すことなく、前菜のサラダもペロリと平らげます

ラストなカレー風なライス付きの飯でしたが、この食事の後にトイレに行った時の事です・・・

お腹が緩くなったのでパンツを脱いで便座に座ると、僕のパンツの中央に何やらシミが着いてます
そして、その時、履いていたホワイトジーンズの中央にも、このケーキと同じ色したシミが滲んでいたのです
「や、やばい、 運転手さん スーツケースおろしてくれぇ
(ぷ、please open the door, スーツケースplease )]
」

スーツケースから強引に替えのパンツをとりだし、バスの席の最後尾へ駆け込み、ズボンもパンツも全て脱いで下半身スッポンポンになり、手元にあるウェットティッシュを我が糞出し穴に押し込む・・・
ってことで、最終日の昼飯後にトイレへ小便をしに行った時、急にお尻の方も緩くなった感覚に陥り、なんとか我慢したつもりでしたが、実はその段階で既にウンチがチビリ出てきてたのです
夕食後の便所まで臭いもしなかったので、気付かなかっただけでした・・・
バスの中で着替えて落ち着いた後で、パニクッてた僕を心配してくれた一部の皆様に状況を説明すると、実は他の皆様も同様な状態に陥っており、初日から既に正露丸にお世話になってた という話でした
そう
中央アジアの地は基本的に硬水を含んだ野菜が提供される為、軟水に慣れた日本人のお腹はたちどころに緩くなってしまうのです
前回のトルコではその様な症状は出なかったので、「今回もいける
」 と舐めてかかったのがいけませんでした
精鋭11名の中で唯一の【お漏らしペチャス】がなんと自分になるとは・・・
これは年配の方々を「地雷」と呼んだりした天罰が下されたのかもしれませんね
ま、けど振り返ってみると、今回の同伴した精鋭の方々、各々の仕事等については踏み込んだ話はお互いにしなかったし、自分達が過去に行った国々や出来事についてはおっぴろげに話している人も中にはいたけど、その事をやっかんで、陰口を言ってる人もいなかったし、むしろ、そういった話でもしないと何の話をするの って事も自分自身が考える様になりました
旅行初日から、変に心の中で彼らを警戒していた己自身が実はウンコ地雷だったのだ
とも・・・
少し時を経た今現在 70越えの年齢になっても、多少空気を読めなくても、健気に海外へ出かける彼ら彼女らに少しばかり尊敬の念を抱くようになりました
「70迄とても生きる気がしないし、別にそこまで生きたいとも思わない・・・
」といった以前の気弱な僕の気持ちは、彼ら彼女らとの出会いによって、いつの間にかどこかへ飛んで行ってしまったのです