受験に対してのイメージが変わって晴れ晴れした気持ちになったのも束の間。
定期テストの結果が返ってきた。
いつもよりできた!と明るい顔でテスト当日帰ってきていたし、まあ、たしかにいつもよりは勉強している雰囲気をだしていたので、ちょっと期待はしていたのだが、、、
いつもと同じような順位だった
2月、みんな時間があって勉強したのだ。
ちょっとぐらいいつもより勉強したからといって、順位は上がらないのだ。
定期テスト返却の日々に少し元気がないようにみえた息子は、私に何を言われるかと戦々恐々としながら成績表をみせてくるのかと思っていたら、ニコニコしながらやったところはできている。と言った。
元気がなかったのはただの花粉症のせいだった。
どこまで楽観的なのか。
この順位をみて何か思わないのか、と聞くと、
地理がいいね、と。
確かに。地理はなぜかいい。
しかし理系たるもの、数学と理科のコレはないのではないか?と言うと、またやったところはできたから。とニコニコして言う。
私の中では、定期テストというものは範囲があるのだから、そこは全部やっておく、ということがテスト勉強なのだけれど、息子はちがうようだ。
あまりにニコニコしているので、私もやったところはできているのだからいいか、と納得してしまった。
そして、次の模試に向けて計画をたてたというのだが、
またやったところはできたという結果になるんだろう。
こんな調子なので、とにかく本番まで混沌とし、直前までどうなるかわからない受験になることはもう確定したといっていい
高1からあんなにYouTubeや受験書籍を読んで最近の大学受験の情報を仕入れたのに、今のところほとんど役に立っていない。
20代後半で、いろいろ計画を立てたとしても人生ってその上をいくんだなぁ、と感じたりして、
それは経験のなさからくる読みの甘さからだと思っていたけれど、若さが理由だったのではなく、私の力量のなさや時折芽生える冒険心のせいで、だいたいそもそも計画通り生きる気がないのかもしれない、と今ではそう思う。
その性質を受け継いでしまったのか、息子も行き当たりばったりの帳尻合わせのようなところがある。
こんな息子に高1の頃から先を見据えてコツコツ勉強しろという方が無理な話だったのだ。
YouTubeをみすぎて、つい息子もできるのでは、と思ってしまった。
「参考書ルート」なるものは、ファイナンシャルプランナーが教えてくれる「家計見直し貯蓄術」と同じで、それをやればいいとわかっているのにできる人しかできないやつなのだ。
やらせてやれるものではない、ということを2年前はわからなかった。
結局は本人次第。
自らやるとならなければ効力を発揮することはない種類のものだった。
と悟った新高3の春。
そして、当の本人は、なんか最近勉強楽しいんだよねー、と頭の中が春だ。
できないものができるようになる楽しさを満喫している。
受験は合否があるので楽しいばかりではないと、来年思い知るのかもしれないのが怖すぎる。
来年じゃなく、今つらい思いをしておいた方がいいのではないか、と伝えたいが伝わらないのだろう。
来年まで綱渡りは続く。