パンの耳 | セピア色のフォトアルバム

セピア色のフォトアルバム

セピア色の風景 懐かしい笑顔 あの頃の思い出 私の宝物を 鮮やかに彩りながら 綴ります 

-----昭和30年代 アルバムに映っている父と母 照れて、少し笑顔がぎこちないね-----


母からこんな話を聞いた
私が生まれる前の話し

「お金がなくてね」

私が生まれる前の父は、デザインの仕事していた
収入は少なく、極貧の生活だった

米を買うお金もなく、母と幼い兄は
一袋5円で売っている、パンの耳を食べていたらしい

それでも働いている父の分だけ、母は白米を炊いた
嫁入り道具の着物を売ったりして、買ったお米
それを毎日、父の分、毎食一膳分だけ炊いた
あとは祖母が行商で売った残りの、野菜が少し
若かった父だから、たった一膳のご飯だけでは、きっと足りなかったはず
それでも、父は何も言わなかったらしい
「お前たちはもう食べたのか?」
「もう私達は先にいただきましたよ」

毎日、毎日、母は父に嘘をついた

母が父に嘘をついた ”理由”
その話を聞いた時、私はすぐにわかった

もし父が、自分だけ白米を食べていることを知ったら、
「私はいらないから、お前達が食べなさい」と言うからだ


そんな生活だったから、財布の中身はいつも少なかった
何も買えないとわかっていも、母は毎日市場へでかけた
ある日、その日も財布には5円しかなかったけど、母は市場へ出かけた
「この魚、食べさせてあげたいな」「栄養をつけさせてあげたいな」

ふと気づくと、買い物カゴに入れてたはずの財布がいつのまにかなくなっていた

「あ!すられた!!」
母は、それはそれは驚いた、と笑って言う

「サイフの中身を見てスリもびっくりしただろうね、5円しか入っていないんだもの」
「うちも貧乏だったけど、スリをしたひとも、きっとひもじい思いをしていたんだろうね」
どこまで、お人好しな母・・・・

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その後父は起業し、がむしゃらに働いた
「いっぱい食べろ、大きくなれ」
父はいつも 私にそう言った



母は父に嘘をついた事が2度ある
一度目が「パンの耳」
2度目が「父の病名」



”嘘をついてはいけません 神様が見てます”
子供の頃、誰もがそう教えられたはず
私もそう教わった

大人になって知った、相手の為につく嘘
父は”パンの耳”の事を知っていたのか、知らなかったのか・・・
きっと、知らなくてよかったんだと思う