今日は桜が大好きだった父の命日。

夫から言われて、ハッと気づいた。

でも、私は命日をあまり大切に思っていない。

亡くなった悲しい日に、何故それを思い出すように手を合わせるのか

今でも鮮明に父の最期は覚えている。

病院で生きようと必死で苦しい息の中頑張っていた父。

お医者様はもう今晩が峠と言われていたので

頑張る父に、私も妹も、お父さんもういいよ、頑張らなくていいよ。

と声をかけた。

あの現状では仕方ない、苦しむ父を見ているのは辛かった。

 

でも、父は明らかに死ぬつもりではなかった。

生きようと必死だった。

我々の言葉が父の生きようとする意欲を諦めさせたのではないか。

私のずっと残る後悔の言葉だ。

もう頑張らなくていいと言わずとも、結果は同じだったとは思う。

けれど諦めさせた、その時父の肩から力が抜けて、逝ってしまうと悟った。

その最期の瞬間は脳裏から離れず、命日と言われると鮮明に思い出し

悲しくなる。

と、命日を忘れていた私の言い訳てへぺろ

 

毎日父の写真に手を合わせて話しかける。

夫と喧嘩したら、「お父さん、どうしたらいい?」と聞くと

父が「お前は厳しすぎる、許してやれ、男はみんなそんなもんや」

仕事がうまくいくと、「よう頑張ったなぁ」と褒めてくれる。

77歳で逝ってしまったけれど、今生きていれば90歳を過ぎている。

父を釣りに連れて行ってやりたかったな。

 

夫は早朝徒歩1分のところにある父の墓へ参っていた。

 

時々良い人だと思うグラサン