1997年7月26日、この日は綺麗な青空でとても暑く、35℃くらいになった。


私と夫の結婚式だった。


滋賀から私の両親が、今は亡き祖父母を連れてきてくれた。
空港まで式場ホテルのバスが迎えに行ってくれたのだが、バスのエアコンが壊れていた。
祖父が「北海道やから涼しいと思てたのに、なんでこんなに暑いんや!」と怒っていたらしい(笑)


結婚式はホテルの小さな部屋で人前式でおこなった。
当時は珍しかったと思う。
宣誓をして、サインをして、皆で乾杯をした。


披露宴は、北海道は「発起人」と呼ばれる、新郎新婦のそれぞれ近しい方々が主催する形で、会費制であった。
(そのためご祝儀は頂かない)
私達の披露宴の会費は9000円だった。


通常なら親族は末席であるが、主催が発起人なので、一番前のテーブルが親族席だ。

私の父が、このシステムを何回説明しても理解ができず、難儀したのを覚えている。




披露宴が始まった。

高校時代の友人が遠路はるばる来てくれて、嬉しかった。
職場の方々も、ニコニコしてくださっていて、嬉しかった。
(実は私の職場で、まったく同じ日、同じ時間に披露宴を開催された同僚がいて、職場の方々は二手に分かれて出席してくださった)


しばらくして何かがおかしいことに気付いた。
暑いのだ。

外は35℃の気温、あれれ?と思ってたら、ホテルのスタッフさんより「ただいまこのお部屋の空調設備が故障しており、申し訳ありません」とアナウンスがあった!

またもやエアコンが壊れていたのだ(笑)

もちろん祖父はうんざりしていた(爆)


夫を含め男性陣はスーツのジャケットを脱いでいた(笑)



余興ではピアノ演奏、歌、合唱とみなさん練習して披露してくださった。



特に私の職場の方々が歌った「愛の讃歌」

会場のアチラコチラから、画用紙で作ったアイシャドウとまつ毛を付けて女装した男性数人の「越路吹雪」がサプライズで登場し、歌いながら席の間をねり歩き、歌の巧さと見た目のギャップで大爆笑だった。



私ははじめウエディングドレス、次に赤い振り袖、最後に黄色のドレスを着た。


暑い上に動きにくい衣装、そしてみなさんからのお祝いの挨拶とお酌に対応するので精一杯、美味しそうなお料理は一口も食べられず(笑)
夫はお酌を受けながら上手に料理を食べていた(# ゚Д゚)


ベビーカーの頃からの幼馴染が友人代表のスピーチをしてくれた。
(数年後、彼女の披露宴で私がスピーチした)


最後の挨拶で、夫は締めくくりに「みなさん脱いだジャケットをお忘れなく」と言うとみなさんがどっと笑ってくださった。


あんなに暑い中みなさんよく我慢してくださり感謝である。




最後の新郎新婦の退場の際、新郎が胴上げしていただくのがその頃のスタンダードだった。


現代では、考えられないでしょうけど(笑)




そして私が「いいなぁ~」って思いながら見ていたのを気付いたのか、「いっちゃう?いっちゃえー!」と勢いついての、

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まさかの「胴上げされる新婦」(爆)











結婚してからは、幸せな時も地獄の時もあった。

本気で離婚を考えたことも幾度となくあった。



娘が高校生の頃かな、
「ママなんでパパと結婚したの?ママならもっとカッコいい人と出逢えたのに」
と本気で質問されました(爆)



自分の選択が正しかったかどうかなんて、死ぬまで分からない。
いや死んだって分からないと思う。



今日は私ひとりで、花とケーキとお寿司を買い、夫が仕事から帰る前にセッティングした。

帰って来た夫が、何事かと訝しんでいたので「今日はなんの日か知らないの?」と聞いたら、案の定忘れていて、思い出してびっくりしていた(笑)


(違うよ、27だよとツッコミ入りました😂)



今年の結婚記念日は、全部自分でセッティングしたけど、自分の好きな花を買いケーキを買い、思い通りにできて良かったと思う。


相手に期待しすぎてガッカリするよりよっぽどいい。


人間いつ死ぬか分からない。
健康であっても、交通事故に合うかもしれない。
だったら笑顔で「いってらっしゃーい」と送り出したい。


そんなこんなの結婚記念日でした。




【追記】
わたなべさんのコメントでセリーヌ・ディオンがオリンピック開会式で「愛の讃歌」歌ったことを知りました😳
すんごい偶然😳