こんばんは。
おかーちゃんです。
アメリカの議員が「原爆投下は正しかった」と発言してざわついている。
きっとそいつはヒロシマやナガサキで何が起きたか、見たことも聞いたことも無いんだろう。そして想像力も無いんだろう。
79年経ってもヒバクシャはヒバクシャだ。
私はヒロシマの資料館しか行ったことがないけれど、歴史の真実を見て衝撃を受ける姿は日本人も外国人観光客も同じだった。
79年経って日本は戦争ビジネスに手を出し始めている。
目的は金だ。
それもひと握りの人間だけが甘い汁を吸うための。
水俣病の当事者にとって水俣病は過去の問題ではない。
でも大臣はシラっと退席した。
東日本大震災だって被災者は未だに仮設住宅に住んでいる。
福島原発が爆発して日本中の原発が止まっても大丈夫と立証されたのに、中身ボロボロの原発延命する理由はなんなんだよ。
奥能登の被災地は見捨てられている。
水汲みに疲れた人々に「店舗に飲料水は豊富にあります」と官僚が言う。
彼もまた、被災地に足を運んでなどいないんだろう。
阪神・淡路大震災の時、私は大学卒業前だった。神戸にあった大学で、学生が2人亡くなった。卒業式まで授業はなく、卒業アルバムは届かなかった。
私にとっては「大学の卒アルがない」という事実は、いつまでもあの時の光景を思い出すスイッチだ。
テレビやメディアは次から次へとしょうもない情報を垂れ流している。
人々はスポンサーにとって都合のいい情報に振り回されている。
「モリカケ桜」問題は終わったのか。
ワクチンは本当に必要なのか。
マイナカードは本当に便利な世の中にするのか。
国会で高橋千鶴子議員が「能登半島地震でマイナカードが役に立たなかった」ことを明らかにした。
JRから2万1000枚のSuicaと350台のSuicaリーダーを無償提供されていた。
河野太郎は「次の災害時にはカードリーダーをきちんと準備しておきたい」とのたまっていた。
高橋議員はマイナ保険証についても言及した。河野太郎は「所管外の質問には答えられない」と得意のフレーズで逃げようとしたが、
「そもそもなんで所管外の大臣が保険証の廃止を説明しているんですか!」
「都合のいい時は出てきて都合が悪くなると所管外っておかしいでしょ」
と鋭く指摘していた。
こういう、政治について私自身がいろいろ調べるようになったのは、スマホでいろいろ情報(正しいかどうかはよく調べないと危険だけど)を得られるようになったからだ。
そしてこんなふうに自分のブログに書くのは、黙っているだけでは世の中は変わらないと思うから。
幸いなことに私自身はお金に困ることもなく、両親が大学卒業まで育ててくれた。
でも私が働いてる間に、世の中は不景気になり続け、私の給料も下がっていた。
娘の学費はなんとか捻出できたが、今や大学生の2人に1人は奨学金という名の借金に頼っている。
娘の世代は景気の良かった日本を知らない。
ゆとり世代ならぬ悟り世代である。
いったいいつまで被災者は被災者のままなんだ。
いつまで子ども食堂に頼るんだ。
いつまで弱い者いじめの政治をすれば気が済むんだ。
こんな私はある人から「政治に関しては考えが偏っている」と言われた。
ならば聞きたい。
好景気に乗って、年金もそれなりに貰えて逃げきれた高齢者世代のみなさん。
日本を良くするために何か行動しましたか?
この30年の日本はまともな道を歩んでいると言えますか?
子や孫の世代のために素敵な国を残したくはないですか?
私と同じ中年のみなさん。
頑張っても報われない世の中を変えたくないですか?
私の娘のような若者のみなさん。
最初から諦めず希望が持てる世の中になって欲しくないですか?
小学校で習う国民主権や非核三原則、三権分立など、これらを守ろうとしない政治家は政治家であるべきではないと私は思う。
キシダが諸外国に国民の血税をバラ撒くのは、見返りで恩恵を受ける人間がどこかにいるからだ。
裏金ネコババ議員を律する法案が身内だなんて、まるでコントみたい。
真面目に政治について話すと「偏ってる」と言われる現状でいいの?
自分が選挙に行っても行かなくても関係ないっていつまで言うの?
誰かがなんとかしてくれるってほっといていいの?
時事問題なんてどんどん新しいネタに食いつくスポンサーの意向で左右されるだけ。
真実を知りたいと思うワタシ。
【P,S】
選挙に行かない人を責めたいのではありません。
生活いっぱいだったら、政治のこと考える余裕なんかない。
以前オーストラリアに住んでる友人に、選挙行かないと罰金取られるからみんな行く。と教えてもらい、それもいいかとその時は思ったけどさ。
今はやっぱり「罰金制度じゃない方法」の方がいいと思う。
あたまやさんのコメントの返信に書いたけど、共感と思いやり、そして知識。
もっと日本人も幸せになりたい!って叫んでいいと思う。
どんな社会でも、人々はその社会の中でいろいろな立場にあるため、当然、意見は多種多様となります。重要なのは、さまざまな立場にいる人々が自由に自分の意見を言える公平性が担保されていることだと考えます。