こんばんはー!

おかーちゃんですー!



昨日の夜娘から今年のクリスマスご馳走の写真が届きました( •ᴗ• )

テーブルに乗り切らなかったものもあるそうです。
(ちなみにキャンドル型ライトをあげたのは私です✨雰囲気盛り上がるぅ!)

我が家はお気に入りのカフェでオードブル頼んだんだけど、全ての料理が同じ味…という謎の現象が起きて、イブの日に2人で黙々と食べました笑笑。次の日残り半分食べてみたら、しっかり味が違うことが判明!
暖かいうちに蓋を閉めちゃって、匂いが移ったのかも、という推理ですー😊
美味しくなって良かったわー。逆パターンやったら泣く😭



小さい頃の年の瀬思い出といえば、父方の祖父母の家で餅つきをするのがとても楽しかった。
京都府の山奥、福知山市で米屋をしていたじいちゃん。京都のうなぎの寝床みたいな家の造りになっていて、一番奥に中庭があった。

じいちゃんとオトンが臼と杵を用意しているあいだ、ばあちゃんが台所を仕切る。普段あまり大声など出さないばあちゃんが、餅つきの時は厳しい声でオカンや叔母達に指示を飛ばす。

つき方が炊いた餅米をつき始める。最初はノシノシ押していき、だんだんドシーンとつくようになる。もちろん返しも頑張っている。返しがお湯を差し過ぎると餅が柔らかくなりすぎる。少ないと臼にこびりつく。
ばあちゃんが川で採ってきたヨモギを入れたヨモギ餅もついた。

小学3年生くらいで杵でつくのを許された。めちゃくちゃ嬉しかった。返しもやらせてもらった。
でも、出来上がった餅を丸めるのは、ばあちゃんが許さなかった(´・_・`)
丸めてええよ、と言われたのは6年生ぐらいだった気がする。

毎年恒例行事だったが、じいちゃんの家が道路の区画整理で引っ越したのもあったし、みんなが歳とって、私の夫も参加して、最後の年は私とおとーちゃんでほぼついた。
それでも私がさせてもらえなかった仕事があった。
鏡餅を作る作業である。これだけは最後までばあちゃんの采配であった。

昔は米も塩も豆も、許可が無ければ商い出来なかった。3つとも持ってたじいちゃんは、若い頃は車で遠くまで配達に行っていた。
車の免許返納してからは自転車に載せて配達していた。
「働く」ということがシンプルな時代だったなぁと思った。

ばあちゃんは荷車で売りに来る魚屋さんや食品屋さんから買っていた。「今日はいいの入ってるよー」っておばさんが声をかけていたのを思い出す。

そんなじいちゃんばあちゃんの家。
昔は段ボールいっぱいに裏白の広告を貯めて置いてくれた。私がお絵描き大好きだったから。
そして遊びに行くと「ひろうす」と呼ばれるがんもどきを炊いたおかずと、お赤飯がいつも準備されていた。私の大好物だったからだ。

そんなじいちゃんばあちゃんもお空に旅立ち、昔の臼と杵を処分することになったのだが、数年放置されていた臼は割れてしまい、使えなくなっていた。

ガラクタになった臼と杵を見た時、ほんとにばあちゃんとじいちゃんが亡くなった時よりも、寂しかったのを覚えている。

たかが餅つき。されど餅つき。
いろんな思い出が残っている。






それではみなさん、ハバグッモルナイト!