W杯を終えて、17日の深夜モスクワからウラジオストク行きの寝台列車に乗り込んだ。

 

実はシベリア鉄道に乗るまでの詳細は友人であるマツメイラスが書いてくれているので参照してください(マツメイラス松田

 

6泊7日間のシベリア鉄道の移動の後ウラジオストックに一泊したのち船で観光経由で日本に帰国する予定だ。

 

 

ただいま、シベリア鉄道の中で5日目の朝を迎えたところだ。

 

鉄道移動は、W杯で嫌という程経験(計9回乗車)したので慣れたものです。

 

乗車する前に、ティーパック、インスタントラーメン、ミネラルウォーター、ウェットティッシュなどを買い込んで乗車。

 

乗車してしまえば後は、目的地までどの様に時間を潰すかの勝負です 笑

 

 

けど実際は、そう言う考えではなくヨーロッパの方々などは鉄道移動はバカンスとの位置付けで捉えられています。

 

というのも日本人からすれば鉄道は所詮移動手段にしか過ぎませんが、大陸に住む方々からしたら鉄道で移動する時間は時がゆっくり流れ、自分の時間をいかに有意義に過ごし、夫婦なら二人の時間を大切にする貴重な移動手段だと考えられており車窓から流れる景色を言葉なしに楽しむといった日本人では考えられない過ごし方の一つです。

 

 

そもそも私自身が、せっかちで移動時間と並ぶ時間が世の中で一番無駄だと思う人間がこの様な時の過ごし方をしたらどの様な感覚に陥るかも自分自身で確かめたいと言うところから今回この移動手段を最後の最後まで悩んだ結果選びました。

 

列車に乗る前にもマツメイラスに、弱音を吐きながら乗車し、いざ出発をすると深夜ということもあり皆がすぐに就寝し僕と同部屋の巨人ロシア人に関してはすでに爆睡でした。

 

いざモスクワからウラジオストックまでの約9000キロ以上の道のりを目指して、列車は動き出した。

 

1日目の朝を迎えると隣で寝ていた巨人ロシア人ゾフは俺の朝飯まで食堂車で頼んでくれていたみたいで、自分の部屋まで食堂車のお姉さんが運んできてくれました。ゾフはめちゃくちゃシャイなロシア人で英語の話せなければコミュニケーションもあまり取ろうとはしないのですが、飯だけは俺と食べようとします!

 

 

列車はお昼にはキーロフという駅に到着。

キーロフはモスクワから距離にして950キロ離れている中規模都市です

ここでようやく全日程の10分の1と考えるか、大阪→東京→名古屋の距離感と考えるかはご自由 笑

 

キーロフでは15分ほどの停車であまりすることはありませんでしたが、モスクワから10分後に北京行きの国際列車が出発していて、この列車キーロフで隣のホームで並ぶことに!こののちに3日間ともに並走することとなる。

 

 

キーロフをでて日本戦が行われたエカテリンブルグを目指し列車は出発したが、エカテリンブルグからはモスクワ時間から時差が生じてきます。

 

ロシアの鉄道は全てモスクワ時間で運行されていて、エカテリンブルグだろうとウラジオストックだろうとすべてモスクワ時間で時刻表は記載れていて、駅の時間も全てモスクワ時間です。

 

 

話を戻すと、エカテリンブルグにはモスクワ時間で深夜1時25分着ですが、現地時間は深夜3時25分なんです。

そんな時間同部屋の巨人は当然のように寝ているので外にはでれず、僕もおとなしく読書をしながら寝ていました。

 

 

この辺りからか、街並みが少しづつ変化していって街並みを縫う様に走っていっている列車がただただ何もない草原を走り抜けていく!

 

三日目の朝を迎えた頃には僕の部屋のある6号車の皆とも顔見しりになっていき、隣の部屋にいたFIFAのクリストフとも凄く仲良くなっていて、着く駅、着く駅で一緒に下車してクリストフがお母さんの為に集めているマグネット(冷蔵庫に貼る観光地写真)を一緒に買い集めることに集中し始める!

 

 

ほんとうにこの様にやることを自分で見つけて自分で時間の使い方を考えなければ、意外と時間とういうのはすぐに過ぎていく。

ロシア人はおそらく寝台列車の移動が当たり前だから、当たり前の様に寝て起きての繰り返しで特に読書をするわけでもなく、駅で毎回降りるわけでもなく、寝て食べての繰り返し!

 

僕は、代わり映えのない景色と停車駅をどの様に撮影するかの試行錯誤。

そして何より今回のワールドカップとワールドカップ前に行っていた全米オープンゴルフの振り返りをしていた。(別途記載予定)

 

この夜から毎晩クリストフとクリストフの奥さんであるミユキさん、イギリス人のラフィーと四人でディナーをして、そしてディナー後はクリストフの部屋でコニャクを片手に皆でワールドカップ談義に華を咲かせることに。

 

この日の夜だけは夕食を二回食べることなった。

なぜならこの日のディナーが同室のゾフとの最後の夜だから、今まで一緒にディナーをし続けていたのでクリストフとのディナー後に、僕はゾフと二人で自分たちの部屋でインスタントラーメンを食べた。

あまり多くをかあらないゾフだが、携帯の翻訳機を手に僕に初めて訴えかけてきた。

 

 

内容は「わたしは、東京オリンピックにあなたに会いに行こうとおもった。だから僕たちは互いに連絡先を交換するべきだ・・・」とこの文を見たときに僕は、彼の中に何かを訴えかけれていたのだと安心したのと同時に、FIFAの無料列車ではなくこのシベリア鉄道に乗った意義みたいなものを感じた。

おそらく、ゾフは僕がクリストフとディナーをしたことも知ってたのだろうし、クリストフと毎回下車しているのも見ている。

考え過ぎかもしれないがそんな中、僕とのディナーと朝食を大切にしてくれていたゾフには感謝の言葉しかない。

 

そしてその夜はそのまま互いに会話もせずにそのまま寝た。

 

続く