香港から帰ってきました。僅か3泊の短い旅でしたが、5年ぶりに訪れた香港は、まさにアジアの大都市、その発展振りは目覚ましいものでした。香港島と九龍半島の間のヴィクトリア湾には豪華な大型客船が悠々と航行しています。
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その間には、昔からのジャンクをかたどった遊覧船が観光客をのせてヴィクトリア湾クルーズを楽しませてくれていました。
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今回の出張では九龍側のHarbour Grand Kowloonホテルに宿泊したのですが、ホテルの海側は整備された遊歩道になっていて、ここからの香港島の遠望も素晴らしいものでした。
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この遊歩道では早朝から釣り人が釣りを楽しんでいて、上の写真の煉瓦の遊歩道に小さな穴を空けて、そこから手釣りで糸をたらして、まるで氷上のワカサギ釣りみたいに小魚を釣っていました。
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上の写真は九龍側から見た香港島の中心地ですが、たくさんの高層ビルが立ち並び、九龍側からは海底トンネルか、フェリーボートで香港島に渡ります。
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夜になると九龍側から見る香港島の高層ビル群の夜景が見事で、多くの観光客が夜景を背景に記念写真を撮っています。


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高速道路も整備されていて、昔の九龍城のスラム街の雰囲気は全く一掃されてしまい、近代都市に変貌を遂げています。
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九龍の中心街は尖沙嘴(チムサアチョイ)、通りには様々な店が軒を連ねていて、ショッピングが楽しめます。今回はここでマッサージのお店によって、一時間のマッサージを楽しんできました。

さて仕事が終わって、夜になるとどうしても行きたくなるのが、香港からフェリーで50分ほどの澳門(マカオ)です。東洋のラスベガスと呼ばれ、世界でも有数のギャンブル・カジノが楽しめる場所です。下の写真のように多くの高層ビル群が立ち並ぶ近代都市です。マカオは1557年にポルトガルが当時の明王朝から永久居留権を取得し、ポルトガルのアジア交易の中心地として栄えて来ましたが、アヘン戦争でイギリスが清朝から香港の植民地化を獲得したのに刺激されたポルトガルが、1862年に清王朝から統治権を獲得して植民地化しました。そしてイギリスの中華人民共和国への香港返還に続いて、1999年12月20日にマカオも中国に返還されて、現在は中華人民共和国澳門特別行政区と言うのが正式名称になっています。
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たくさんのカジノが立ち並ぶ中で、今回はアメリカのユダヤ系金融資本が経営するカジノ「ベネチアン」に行ってみました。ホテルと併営するベネチアンのカジノは広大で、迷子になってしまわないかと不安になるほどの広さです。そして驚く事にギャンブルに興じるお客の大半が中国人で、ディーラーと中国語で遣り取りしながら、ギャンブルに熱中しています。現在の中国はそれほど富裕層が増えてきていて、カジノで悠々と札びらを切って遊んでいるのです。僕らのような日本人観光客は隅っこで小さくなっているしかありません。改めて時代の変革を屈辱感をもって実感させられました。
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カジノの中央では様々なショーが次々と繰り広げられ、ギャンブルに疲れたギャンブラーを楽しませてくれます。僕のギャンブルの成果はどうだったか、Big & Small(大小)と呼ばれるギャンブル台にへばりついて、中国人に混じって3時間も奮闘したのですが、持って行った有り金全てが取られてしまい、遂にオケラになってしまいました。何とも情けない成果でした。帰りのフェリーでトボトボとホテルに帰ってきました。

翌日は、香港に移住して20年になる僕の甥の会社を訪ねて、今後のビジネスのサポートに関する打合せ。夜は甥っ子に頼んで、香港で一番美味しい中華料理に案内してもらいました。ギャンブルでオケラになった埋め合わせに、せめて「生きてて良かった」と思えるような美味い店に案内しろとプレッシャーをかけて連れて行ってもらったのが九龍のフェリー埠頭の近くの「潮州料理」の店でした。中国本土の広東省潮州市をルーツとする潮州料理はどんな味だったか。潮州市とは韓江で海と繋がっているのですが、海岸線より20kmほど内陸に有る街ですから、昔から海産物の干物を魚醤や塩を使って煮込んだ料理が中心で、スルメ、干し牡蠣、魚の干物、魚の浮き袋の乾燥させたもの、フカひれなどを煮込んで、素材の旨味を引き出した、比較的あっさり系の料理で日本人向きです。とにかく美味しかったですよ。是非皆さんもチャレンジしてみて下さい。下の写真は小指の先ほどの小さな干し牡蠣を溶き卵で焼いた塩味の料理で、余りの美味さについついもう一皿追加してしまいました。
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潮州と言えば昔から多くの華僑を輩出した街で、香港一の実業家「李嘉誠」の出身地です。李嘉誠と言えば、香港の長江実業グループの総帥で、立志伝中の人物です。貧しい家系に生まれ、学歴は中卒(高校中退)ですが、1949年に香港でプラスティックで作った造花の製造を始めて、これが大当たり、俗に言う「香港フラワー」で巨万の富を築き上げ、1958年頃から不動産業に転進して大成功、個人資産265億ドルとも言われ、世界11位の資産家になった華僑の大成功者です。李嘉誠はマカオのギャンブル王と呼ばれる「スタンレー・ホー」とも親しく、そんな世界の大金持ちの1人を生んだ街が潮州です。スタンレー・ホーは1999年にマカオが中国に返還されるまで、マカオのカジノの利権を独占的に握ってきた大物ですが、返還後は独占的なギャンブル権は失いましたが、今でも「グランドリスボア」などの主要なカジノのオーナーとして君臨しています。さて博打の話はさておき、香港はアジアの貿易の重要な拠点港として、機能しており、港に行けば巨大なガントリークレーンが林立して、コンテナーを次々と貨物船に積み込んでいきます。
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日本の神戸や横浜も今や香港に大きく水をあけられてしまいました。改めて中国の活気と活力を感じながら、一体日本はこれからどうなって行くのかなと考えさせられる旅でした。

取り敢えずの出張報告でした。またもう少し掘り下げて香港のご報告を次回以降でしていきましょう。