今日も海外で出会った危険なお話です。皆さんはバリ島ってご存知でしょうし、行かれた方も多いと思います。現在はインドネシア共和国に属していますが、バリ島の歴史は大変に古く、紀元前2000年頃には人々が平和な暮らしを営んでいた痕跡が発見されています。島の広さは5,632平方キロメートル、日本の佐渡ヶ島の6.5倍くらいある大きな島です。アルプス・ヒマラヤ造山帯に属する小スンダ列島の西端にあり、バリ海峡を挟んで、西の対岸はジャワ島、東側の対岸はロンボク島となっています。近年はリゾート開発が進み、下の写真のような海浜リゾートがたくさん開発されて、観光地化が進んでいます。

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バリ島の最高峰はアグン山、3,142mありますから、3,776mの富士山並みの高い山を持つ島です。下のバリ島のイラストでも分かるように、1,717mのバトゥール山とその周辺は高地帯でキンタマーニ高原と呼ばれて、海浜地帯とは違った景色を持つ農業地域になっています。お米も年に2~3回収穫できるので暮らしは豊かです。この辺りで栽培されるコーヒーはキンタマーニ・コーヒー(発音を間違えないで下さいね、ちょっと間違えるといやらしいコーヒーになってしまいますからね)は島の特産品で、独特の香りがお土産に喜ばれています。
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州都はデンパサール、此処には国際空港があって、日本からも直行で行けます。先ほど歴史は古いと言いましたが、17,18世紀ごろには島は8つの小国に分かれていて、群雄割拠の時代でしたが1908年にオランダが全島を植民地として支配するようになります。この時に島の王侯貴族たちがそれに抗議をして、無抵抗の大量自殺を敢行し、オランダはヨーロッパ中から非難されました。1942年には太平洋戦争で日本軍がオランダ軍を追払い、島の自治を進めますが、1945年の日本の敗戦と共にオランダ軍が再上陸し、再びオランダからの独立闘争が始まります。このオランダ軍相手の独立闘争には日本軍の敗残兵も加わって戦った為に、比較的に対日感情の良い島でもあります。1945年にスカルノがインドネシアの独立を勝ち取り、バリ島もインドネシア共和国に組み入れられました。
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デンパサール市内の写真を見てお分かりのように、州都にも高層建築はほとんど無く静かな街です。島の宗教はバリ・ヒンズー教と言い、島の土着の宗教にインド仏教とヒンズー教が混交してできた宗教です。その為に近年はイスラム過激派の絶好の標的にされてテロ事件が頻発しました。更に外国人観光客目当てに島に渡ってきた島外の人達による犯罪が多発して、治安の悪化から観光業は大きな打撃を受けています。つい最近も日本の若い女性が殺害されると言う恐ろしい事件が起きています。バリ島人は信仰心が厚く、穏やかな性格で、特に肥沃な農業地帯では、昔から1日に2~3時間働いたら、残りの時間は絵画、彫刻、音楽や踊りと言った芸術性豊かな分野を楽しむ風習が続き、バリ島独特の文化と芸術が生まれたと言われております。
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海浜の静かなリゾートエリアでゆったりと休暇を楽しむには絶好の島なので、最近の治安の悪化はとても残念です。僕は3日間しか滞在できませんでしたが、せめて1週間はのんびりしたいものと、次回のチャンスに期待をしております。
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独特の民族舞踊は、その衣装も音楽も素晴らしくて、芸術性も高く、思わず引き込まれてしまいます。
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山岳地帯に入ると、写真のような棚田があちこちに広がり、日本の棚田の風景とそっくりなので、親近感が更に強くなります。山間部のリゾートも下の写真のように、美しい山あいに静かに佇んでいて、こんなところでゆっくり出来たらなと、思わせる自然豊かなたたずまいです。
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島ではしょっちゅうお祭りがあって、村人たちは夜になると火の周りを囲んで、独特の音楽と踊りで、一晩中楽しむんだそうですが、観光客向けにお祭りを演出して見せてくれるツァーもあるようですから、機会があったら見たいものですね。
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さて、そんな楽園の島バリ島から、インドネシアの旧都ジョグジャカルタに移動する為に、国内線でデンパサール空港から離陸した直後の事でした。乗っていたのは日本のYS11クラスのプロペラ機でした。離陸して機体がまだ上昇を続けている時に、僕の座っていた側の左翼のエンジンが火を噴いているのが見えるではありませんか。パイロットが気が付いて直ぐに直ぐにエンジンを止めたのか、火を噴いたエンジンに直結のプロペラの回転は直ぐに止まりましたが、火は燃え盛ったままです。機長からアナウンスがあり、エンジントラブルで直ぐにデンパサール空港に引き返すが、一定の高度まで上がらないと旋回できない、片方だけのプロペラで旋回と着陸を行うが、大丈夫だから落ち着いてパーサーの指示に従うようにと言うことでした。乗客はパニック状態で、僕の隣のアメリカ人ビジネスマンは火が翼にある燃料タンクに移れば、爆発して片翼が吹っ飛んで墜落すると言って真っ青になって震えています。僕も一瞬、「ケニーはバリ島に死す」を覚悟しましたが、機長の落ち着いた操縦で、2~3分後には旋回がゆっくりと行われ、空港に向かって降下が始まりました。滑走路を見ると、両脇にずらりと消防車が待機し、軍の車両らしきものも大量に集まっていて、ものものしい騒ぎです。しかし飛行機は割りとすんなりと滑走路に着陸して、タキシングをしながら滑走路の端っこに停止しました。駆けつけた消防車から大量の化学消火剤がエンジン周辺に吹きかけられて、その間に機体の反対側の扉が開けられて、乗客は直ちに機外に脱出させられて無事でした。後で聞いたら、機長は空軍パイロット上がりのベテランで、落ち着いた操縦振りが大きく評価されて、大統領に表彰されたそうです。飛行機は一番安全な乗り物と言われますが、万が一墜落すれば、大半が命の危機にさらされる乗り物でもあります。気をつけようにも方法が有りませんから、全て運頼み。皆さんも飛行機で危険な目に会いたくなかったら、普段はあまり頼りにしないでいる神様、仏様のご加護にすがるしか有りませんよね。

では又、次の話をお楽しみに。