さて、ベトナム紹介の続きです。ベトナム社会主義共和国の首都ハノイ市から空路ベトナム最大の都市であるホーチミン市に移動しました。約2時間の空の旅です。ハノイ市を政治の中心とすれば、ホーチミン市は経済の中心都市です。人口は600万人を超え、昔から「極東の真珠」とか「東洋のパリ」と称された大変に美しい街です。しかし一般の人には旧名である「サイゴン」の方がなじみが深いのではないでしょうか。1975年にベトナム戦争が終結しサイゴン市はベトナム人民軍の支配下におかれ、南ベトナム政府、アメリカ軍から解放されました。アメリカでは今でもこの事を「サイゴン陥落」と呼んでいます。そしてベトナム開放の父と呼ばれたホーチミンの名前をとって「ホーチミン市」と改名されました。元々この辺りは17世紀まではクメール人が多く住むカンボジア王国の領土でした。しかし北から多くのベトナム人が南下し、ベトナムのフエに首都をおく阮朝の支配下に入りました。そして1859年にフランスの植民地となり、フランス領インドシナとして永くフランスの支配下に置かれる事となります。ですから都心部はフランスの影響を強く受けて、優雅な広い並木道が続き、歴史的なフランス植民地風の建物も多く残っています。下の写真は人民委員会庁舎と前庭に置かれたホーチミンの銅像です。いかにもお洒落な建物ですよね。
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ベトナムに行ってまず驚くのは街を縦横無尽に走り回るバイクの多さです。下の写真は人民委員会庁舎前のバイクの風景ですが、とにかく街で道路を横断しようとすれば命懸けの覚悟が要ります。慣れてきたら、思い切って目をつぶって横断を始めればバイクの方で避けてくれるのが分かってきますが、最初はなかなか道路を横断できずに、どうすれば道を渡れるのか悩んでしまいます。バイクは中国製だと1台3万円くらい、日本製だと1台10万円くらいだそうです。必死に働いて貯金をしてバイクを買うのが夢だそうです。僕の持っていたソフトバンクモバイルのディズニーの携帯電話が数万円すると言ったら、そんなものを買うのだったらバイクを買いたいといって胸を張っていました。
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下の写真は、今回お邪魔した弁護士事務所のあるビルの窓から撮影したものですが、ハノイ市と比べると、なかなか近代的な建物が並ぶ大都市だというのが分かるでしょう。
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しかし、ベトナム経済の中心であるホーチミン市ですから、今回の世界的な景気後退の影響をもろに受けております。日本企業を始めとして、欧米系の企業も撤退を余儀なくされたところも多くて、下の写真の女の子は、19歳だそうですが、最近まで日本企業で働いていた日本語がぺらぺらのの女性です。とても正確できれいな日本語を話せる優秀な女性ですが、現在は失業してしまい、食べる為に港の船着場で絵葉書を売っていました。とにかくベトナム人はたくましい上に勤勉です。日本の若者のように不況で派遣を切られたからと言って、自殺を考えたり、秋葉原で関係ない人を殺傷したりなんて事件は起きません。彼女も一生懸命絵葉書を仕入れてきて、街頭の暑い中で必死に旅行客に売り歩いているのですが、とにかく明るくて笑顔が素敵でした。もちろん僕も買ってあげましたよ。
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下の写真もフランス植民地時代に建てられた中央郵便局の内部の風景ですが、優雅な雰囲気でしょう。とても郵便局とは思えませんでした。
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下の写真は、街中に続く並木道です。ホーチミン市は僕の滞在中は38度を越える暑さだったのですが、並木通りの木陰に入ると風が涼しくて、とても気分が良かったのが印象的でした。
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ホーチミン市と言えば海に続く港町と思って誤解をしていました。サイゴン港といえば1万トン級の船が入港する港ですから、そう誤解をしてしまったのですが、何とサイゴン港とはサイゴン川に開けた河の港だったのです。下の写真のように大きな船がたくさん入港していました。ベトナム戦争の時はこの河の対岸からサイゴン市内に向かって、ベトコンと北ベトナム軍が砲撃をして、アメリカ軍を追い落としたのだと昔の自慢話を聞かされました。
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では又、次回のベトナム訪問記をお楽しみに。