今日の東京も相変わらずの花冷え。まだまだコートが手放せません。東京の桜が楽しめるのは今週の後半との事ですから、週末は都内の桜の名所は花見客と、花の下の宴会で賑やかになる事でしょう。

さて、前回はフランスのロワール渓谷の古城巡りとワイナリー巡りのお話でした。フランスに入ればまずは花の都パリに宿をとるのが普通ですよね。フランス人はパリが世界の文化の中心だと固く信じて疑いません。私事ですが、私の長女が日本の大学を卒業後、フランスの大学で更に勉強したいと言う事で、パリへの留学を決めたときに、大阪のフランス領事館で留学許可をもらう為の親の面接がありました。その時に領事館の担当官は、東洋のはるか果てにある(つまり極東Far Eastと言う事でしょう)日本と言う文化果てる国から、はるばる世界の文化の中心であるパリへ学びに行きたいとは殊勝な心掛けである、よって学費は免除してあげると言うような事を言っておりました。日本の文部科学省もアジアからの留学生にこの位の事はしてあげれば、多くのアジアからの留学生が助かるのになと思いました。そして娘は無事パリに留学したのですが、それきり10年、結局パリの住み心地が良いのか、そのまま住み着いてしまって未だに日本に帰って来ません。


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さて私事はさておき、この写真がモンマルトルの丘です。モンマルトルはパリの市街の北にあり、パリでは一番高い丘です。頂上に写っているサクレ・クール寺院の辺りまで登れば、パリ市街が一望できますから、パリを訪れたらまずはこの丘に登ってみるのが良いでしょう。このサクレクール寺院は映画の撮影場所として使われる事も多く、もし映画に写るサクレクール寺院を見たいのであれば、古い映画では「若き獅子たち(The young lions)」マーロン・ブランド、モンゴメリー・クリフト、ディーン・マーチン主演の第2次大戦を描いた戦争映画ですが、ドイツ軍将校に扮したマーロン・ブランドがパリに進駐し記念写真をとる場面が、このサクレクール寺院を背景にしています。最近の映画ではジャン・ピエール・ジュネ監督脚本のフランス映画「アメリ」が全編このサクレクール寺院周辺の撮影で有名です。いずれもアマゾンかTSUTAYAで探せば手に入ります。


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今ではこの丘の辺りはパリ市内に組み込まれ18区になっていますが、昔はパリ市では無くて、パリ市民から見れば田舎も田舎、ブドウ畑が広がる田園地帯でした。サクレ・クール寺院も古い寺院かと思えば大違い、20世紀の初頭に完成した新しい寺院です。しかしモンマルトルそのものの歴史は古く、遠く3世紀に、フランスの守護聖人と言われるキリスト教の司教の聖サン・ドニと二人の司教が首を切られて処刑された殉教の場所でした。ちなみに、この聖サン・ドニは切られた首を抱えて数キロ歩いたと伝説があり、倒れて死んだ場所が、今は有名なサン・ドニ大聖堂になっています。その後19世紀にはパリ市内の大改造が行われ、このモンマルトルの丘の辺りがすっかり市街地になってきました。今では丘の南側からはケーブルカーで登る事もできます。丘に登ればテルトル広場がサクレ・クール寺院の裏側にあり、広場全体がカフェーになっています。広場にはたくさんの無名の画家がイーゼルを立てて、観光客の似顔絵を描いたり、自分の描いた絵を売っています。記念に自分の似顔絵を描いてもらうのも一興ですが、画家によって絵のタッチが皆違いますから、自分の好きなタッチで描いてくれる画家をじっくりと選んで下さいね。


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丘の周辺にはモンマルトル博物館やモンマルトル墓地等がありますので、歴史を知りたい方は是非訪れてみましょう。墓地には有名な画家たちのお墓が並んでいます。この丘の辺りは昔は家賃も安くて、修道院で修道女がワインを作っていて、飲み屋街が軒を連ねていたので、多くの芸術家が住み着きました。思いつくままに書いても、ピサロ、ピカソ、モジリアーニ、ゴッホ、マチス、ルノワール、ドガ、ユトリロ、ロートレックときりがありません。彼らが毎晩のように集まって、ワインを飲みながら喧々轟々と芸術論を交わしていたのでしょう。赤い風車で有名なムーランルージュやル・シャ・ノワール等のキャバレーもこの丘にあります。私もムーランルージュには何度か行きましたが、踊り、手品、歌、大道芸等々の様々な芸人が、次から次と舞台に上がり、観客を楽しませてくれます。かつてはアメリカのロック歌手のプレスリー、ジャズ歌手のシナトラも出演した事があります。毎晩19時、21時、23時の3回のショータイムがあります。言葉が分からなくても、充分に楽しませてくれる芸が見られますから、一度遊びに行くのも面白いですよ。


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遺跡や古城の話が続いたので、今日は少し街中の話をしてみました。では又のお話を楽しみにしてください。