ケニーのブログ

皆さんは、スペインが生んだ偉大な建築家「ガウディー(1852~1926)」を知っていますか。もし知らない人でも、バルセロナにある奇妙な塔がにょきにょき立った「サグラダファミリア教会」と言えば、あ~と思い出すかもしれません。あの教会の設計者が天才と言われたガウディーで、建設を開始して100年たった今でも完成せずに、未だに建築工事が続けられています。バルセロナにはその他にも幾つかのガウディーの作品が残っています。

私が不思議な縁で、そんなガウディーの作品に出会ったのが、今から20年近く前のバブル全盛期のことでした。それが表題の「エルカプリチョ」と言う建物です。このエルカプリチョは、地中海に面したバルセロナとは真反対のドーバー海峡側にある、カンタブリア州の州都サンタンデールから更に40kmほど離れた、コミージャスと言う海に面した田舎町にありました。この街は14世紀に拓かれ、当時はイエズス会の修道士を教育する大学が置かれ、ヨーロッパ中から修道士が集まる街でした(この大学は建物だけは立派に現存しています)。今では近くに修道院があり、ヨーロッパ中から集まった修道士が厳しい修行をしています(この修道院で作るチーズが絶品なんですよ)。その他にこの街にはスペイン王室や貴族、富豪達の別荘が集まっていて、まるで中世の街に紛れ込んだような雰囲気です。すぐ近くには18,000年昔の旧石器時代の洞窟壁画で有名な「アルタミラの洞窟」もあります。

この街にある「エルカプリチョ」は、フィリピン貿易で財を成した富豪の為に、ガウディーが建てた石造2階建て、塔付きの別荘です。隣はスペイン王室の別荘です。所有者は数代代わっていて、当時はサンタンデールの家具屋の社長でした。一目見てガウディーの作品と分かる凝りに凝った建物ですが、全く手入れがなされず、荒れに荒れ果てて、まるで廃墟のようでしたが、石造りの為に躯体はしっかりとしていました。私はたちまち惚れ込んでしまい、すぐに持ち主と価格交渉に入ると同時に、文化遺産の買収許可を求める行政手続きに入りました。紆余曲折は有りましたが、半年ほどで売買交渉が成立し、当局の売買許可が下りました。しかしこの買収が明らかになると、スペイン中のマスコミが大騒ぎになりました。スペインの国宝とも言える作品を日本企業に売却する、この日本企業はきっと解体して日本に移築してしまうだろうと言うわけです。私は早速記者会見を開き、集まったマスコミに、絶対に解体も移築もしない、スペインの後世の人の為に修復をして、当時の姿に復元し、この地でレストランとして建物を生かして使うと明言しました。この様子はテレビでスペイン全土に放送され、大きな反響を呼びました。日本からもマスコミの取材が押しかけて大変な騒ぎでした。

さて、無事に騒ぎが収まったら、修復工事の開始です。当時の建材や木材を探し回り、当時と寸分違わない復元工事を始めました。私もそこに住み着いて、一年の時間と約5億円の工事費を掛けて完成させました。私はヨーロッパ文化功労賞を頂くことになりました。そしてレストランを開業し、地元の人や観光客が多く訪れてくれるようになり、記念イベントには王室関係者も来てくれました。

そうこうしている内に、青天霹靂の知らせが届きました。バルセロナオリンピックに来られる日本の皇太子殿下がこの「エルカプリチョ」でスペイン王室を招く晩餐会をしたいとの話が宮内庁から来たのです。

それからの準備の半年間は、てんてこ舞いの大騒ぎでした。メニューはどうするか、食材はどうするか、お酒は、ワインは、飲み物はとシェフと一緒に走り回りました。どうやら無事に晩餐会を終わらせ、皇太子殿下からもガウディーの建物と料理にお褒めの言葉を賜り、ほっとしました。

しかしバブルの饗宴にも幕が下り、このガウディーの建物「エルカプリチョ」もスペイン人のオーナーに所有権が移りました。

しかし、この建物の絵葉書には、今でも修復者、復元者として私の名前が書かれています。私が記者会見でも約束したとおり、「エルカプリチョ」は見事に修復、復元されスペインの後世の人々に、スペインの誇りとして残されています。

バブルと言われた時代、地球の反対側、世界の片隅で、こんな面白い出来事もあったんですよ。

読者の皆さんと、いつかこの地を訪れて、レストランで食事をしながら、当時の思い出話に花を咲かせるのが、私の夢です。