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!! 15年以上前に買った本なのですがずっと「ツン読」でした。

!! 何故もっと早く読まなかったと今頃後悔してます。

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!! リタイアした年寄りがボツボツと更新しております。またのお越しを……。m(__)m

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ドア言志四録(二)言志後録/31-50

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30.「中」二則 その二
気魄(きはく)の人(ひと)の認(みと)めて以(もっ)て中(ちゅう)と為(な)す者(もの)は、固(も)と過ぎたり。而(しか)も其(そ)の認(みと)めて以(もっ)て小過(しょうか)と為(な)す者(もの)は、則(すなわ)ち宛(あたか)も是(こ)れ狂人(きょうじん)の態(たい)なり。愞弱(ぜんじゃく)の人(ひと)の認(みと)めて以(もっ)て中(ちゅう)と為(な)す者(もの)は、固(も)と及(およ)ばずして、而(しか)も其(そ)の認(みと)めて以(もっ)て及(およ)ばずと為(な)す者(もの)は、則(すなわ)ち殆(ほとん)ど是(こ)れ酔倒(すいとう)の状(じょう)なり。

○酔倒:酔い倒れ、酔いつぶれ。
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29.「中」二則 その一
(ちゅう)の字(じ)は最(もっと)も認(みと)め叵(がた)し。愞弱(ぜんじゃく)の人(ひと)の認(みと)めて以(もっ)て中(ちゅう)と為(な)す者(もの)は、皆(みな)(およ)ばざるなり。気魄(きはく)の人(ひと)の認(みと)めて以(もっ)て中(ちゅう)と為(な)す者(もの)は、皆(みな)(す)ぎたるなり。故(ゆえ)に君子(くんし)の道(みち)(すくな)し。

○叵:音はハ、かたし。
○愞弱:心の弱いこと。
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28.「思」という字
(こころ)の官(かん)は則(すなわ)ち思(おも)うなり。思(おも)うの字(じ)は只(た)だ是(こ)れ工夫(くふう)の字(じ)のみ。思(おも)えば則(すなわ)ち、愈(いよいよ)清明(せいめい)に、愈(いよいよ)篤実(とくじつ)なり。其(そ)の篤実(とくじつ)なるよりして之(これ)を行(こう)と謂(い)い、其(そ)の清明(せいめい)なるよりして之(これ)を知(ち)と謂(い)う。知行(ちこう)は一の思(おも)うの字(じ)に帰(き)す。

○心之官云々:孟子、告子章句上に「心の官は即ち思う。思えば即ちこれを得る。思わずんば即ち得ず」とある。
○工夫:いろいろと思をめぐらすこと。
○清明:精密明確、物事の道理にくわしく明らかなこと。
○篤実:篤厚誠実、まじめ。

【付記】 知行合一は王陽明の説くところである。したがってこの条は陽明学の説明といってもよい。
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27.死生観
(もの)には栄枯(えいこ)(あ)り、人(ひと)には死生(しせい)(あ)り。即(すなわ)ち生々(せいせい)の易(えき)なり。須(すべか)らく知(し)るべし、軀殻(くかく)は是(こ)れ地(ち)にして、性命(せいめい)は是(こ)れ天(てん)なることを。天地(てんち)(いま)だ曾(かつ)て死生(しせい)(あ)らずば、則(すなわ)ち人物(じんぶつ)(なん)ぞ曾(かつ)て死生(しせい)(あ)らんや。死生(しせい)、栄枯(えいこ)は只(ただ)(こ)れ一気(き)の消息(しょうそく)盈虚(えいきょ)なり。此(こ)れを知(し)れば則(すなわ)ち昼夜(ちゅうや)の道(みち)に通(つう)じて知(し)る。

○生々之易也:天地自然の姿をみると、陽は陰を生じ、陰は陽を生じ、交替変化してやまない。これを易という。この易では人の死生、物の盛衰もこの理に従っているとみるのである。(易経、繫辞上)
○消息盈虚:きえたり生じたり、満ちたり欠けたりすること。
○昼夜之道:易経、繫辞上にある。
 「伝習録 上巻」で王陽明は昼夜がわかれば死生が理解できるといっている。

【付記】 本条に関連して次のことを付記しておこう。
  「死生命あり、富貴天にあり」論語、顔淵篇。
  「生は寄なり、死は帰なり」十八史略、夏后氏。
  「生は一時のくらいなり、死も一時のくらいなり、たとえば冬と春とのごとし。
  冬の春となるとおもわず、春の夏となるといわぬなり」道元、正法眼三、現成公安。
以上は東洋的死生観ということができよう。
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26.地上の美観
山水(さんすい)の遊(あそ)ぶ可(べ)く観(み)る可(べ)き者(もの)は、必(かなら)ず是(こ)れ畳嶂(じょうしょう)、攢峰(さんぽう)、必(かなら)ず是(こ)れ激流(げきりゅう)、急湍(きゅうたん)、必(かなら)ず是(こ)れ深林(しんりん)、長谷(ちょうこく)、必(かなら)ず是(こ)れ懸崖(けんがい)、絶港(ぜつこう)なり。凡(およ)そ其(そ)の紫翠(しすい)の蒙密(もうみつ)、雲烟(うんえん)の変態(へんたい)、遠近(えんきん)(あい)(と)り、険易(けんい)(あい)(まじわ)りて、然(しか)る後(のち)に幽致(ゆうち)の賞(しょう)するに耐(た)えたる有(あ)り。最(もっと)も坤輿(こんよ)の文(ぶん)たるを見(み)る。若(も)し唯(た)だ一山(さん)(あ)り、一水(すい)(あ)るのみならば、則(すなわ)ち何(なん)の奇趣(きしゅ)か之(こ)れ有(あ)らむ。人世(じんせい)も亦(また)(な)お是(かく)のごとし。

○畳嶂:重なった山。
○攢峰:集まった峰。
○急湍:急な早瀬。
○懸崖:きり立ったがけ。
○絶港:隔絶している港。
○紫翠の蒙密:山の草木が紫色や緑色にこんもりと茂っていること。
○幽致:幽邃な趣。
○坤輿:大地。輿は車の物をのせる所。易経に「坤は大輿たり」とある。
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25.達人の見解
(ひと)の一生(いっしょう)(あ)う所(ところ)には、険阻(けんそ)(あ)り、坦夷(たんい)(あ)り、安流(あんりゅう)(あ)り、驚瀾(きょうらん)(あ)り。是(こ)れ気数(きすう)の自然(しぜん)にして、竟(つい)に免(まぬが)るる能(あた)わず。即(すなわ)ち易理(えきり)なり。人(ひと)は宜(よろ)しく居(お)って安(やす)んじ、玩(もてあそ)んで楽(たのし)むべし。若(も)し之(これ)を趨避(すうひ)せんとするは、達者(たっしゃ)の見(けん)に非(あら)ず。

○険阻:けわしいこと。
○坦夷:二字とも平らかなこと。
○安流:穏かな流。
○驚瀾:逆巻く大波。
○気数:めぐり合わせ、自然の成行。
○趨避:はしりさける。
○達者:広く事理に通達している人。
○見:見解、見識。

【付記】 人生は平坦ではない。これに関するいくつかの古人のことばを記してみよう。
 徳川家康の遺訓の最初に「人の一生は重き荷を負って遠き道を行くが如し、急ぐべからず」とある。
 また、古歌に
 「越えなばと 思いし峰に 来て見れば 行く手はなおも 山路なりけり」
 なお、後録69条および耋録(てつろく)135条に述べるように、昔賢曰く、『楽は心の本体なり』と悟れば、如何なる状態にあっても、楽しく世を渡ることができるというものであろう。現代風にいえば、
 「花も嵐も 踏み越えて 行くが男の 生きる道」というところであろうか。
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24.真の功名
(しん)の功名(こうみょう)は、道徳(どうとく)便(すなわ)ち是(こ)れなり。真(しん)の利害(りがい)は、義理(ぎり)便(すなわ)ち是(こ)れなり。

【付記】 古来金もうけに「三かく法」というものがある。即ち「義理をかく、人情をかく、恥をかく」というものである。この三かく法で得られる利益はまったく一時的なもので、いわば、線香火花のようなものだ。恒久的に栄えるためには道徳に則したものでなければならない、というのが本条の主旨である。
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23.義理と利害
君子(くんし)も亦(また)利害(りがい)を説(と)く。利害(りがい)は義理(ぎり)に本(もと)づけばなり。小人(しょうじん)も亦(また)利害(りがい)を説(と)く。義理(ぎり)は利害(りがい)に由(よ)ればなり。

○君子:①徳の高い人、②在位者、③卿大夫および賢者、④中国で妻が夫をいうもの、ここでは①の意味で、論語、学而篇に「人知らずして慍らず、また君子なrずや」にある君子をいう。
○小人:①庶民、②奴僕、③徳の低い人、④謙遜して一般人。ここでは③の意味。論語、為政篇に「君子は周して比せず、小人は比して周せず」とある。周は誰とでも公平につきあう。比は朋党をつくる。

【付記】 本条の論説は現代社会にもそのままあてはまるであろう。即ち陽に公共事業、慈善救済をうたい、陰に自己の利を貪ろうとする者、本条でいう小人の義理を説く者であろう。
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22.敬の真義
(こころ)に中和(ちゅうわ)を存(そん)すれば、則(すなわ)ち体(たい)(おのずか)ら安舒(あんじょ)にして即(すなわ)ち敬(けい)なり。故(ゆえ)に心(こころ)(ひろ)く体(たい)(ゆた)かなるは敬(けい)なり。徽柔(きじゅう)懿恭(いきょう)なるは敬(けい)なり。申申(しんしん)夭夭(ようよう)たるは敬(けい)なり。彼(か)の敬(けい)を見(み)ること桎梏(しっこく)、徽纏(きてん)の若(ごと)く然(しか)る者(もの)は、是(こ)れ贋敬(がんけい)にして真敬(しんけい)にあらず。

○中和:中はほどよいことで喜怒哀楽の情の中庸を得たものをいう。和は事を行う場合、なごやかにやっていくをいう。即ち中は体(原理)、和はその用(働き)である。(諸橋、中国古典明言事典、講談社、154頁)
○敬:14条参照。
○心広体胖:大学、伝之六章に「富は屋を潤し、徳は身を潤し、心広く体胖かなり。故に君子は必ずその意を誠にす」とある。
○徽柔懿恭:順に善、和、美、敬の意、書経、無逸篇に周の文王の徳を称えていったことば。
○申々夭々:論語、述而篇に孔子の容貌を評していったことば。申申如は容貌ののびやかなこと。夭夭如は顔色の愉(よろこ)ばしいこと。
○桎梏:手かせ足かせ。
○徽纏:三つより二つよりとの縄。束縛されて窮屈なこと。
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21.心と身を養うには
礼儀(れいぎ)を以(もっ)て心(こころ)を養(やしな)うは、即(すなわ)ち体躯(たいく)を養(やしな)うの良剤(りょうざい)なり。心(こころ)、養(よう)を得(う)れば則(すなわ)ち身(み)(おのずか)ら健(けん)なり。旨甘(しかん)を以(もっ)て口腹(こうふく)を養(やしな)うは、即(すなわ)ち心(こころ)を養(やしな)うの毒薬(どくやく)なり。心(こころ)、養(やしな)いを失(うしな)えば則(すなわ)ち身(み)も亦(また)(や)む。

○礼義(と礼儀):礼義は挙動や動作。(礼儀は作法。礼はその大なるもの、儀は小なるもの。)
○旨甘:美味。
○口腹:飲食のことあるいは肉体。

【付記】 本条に関してギリシャ語の Mens sana in corpore sena! を思い出す。英語では Sound mind in sound body! という。このことをよく「健全な身体に、健全な精神が宿る」というが、これは間違いだ。本当の意味は「健全な心」と「健全な体」はなかなか両立しないから、ギリシャ人はこの二つをともに与え給えと神に願ったのだそうだ。
 寧ろ、…中略…、「精神が健全であれば、病気をしないで、長生きする」ということが本当であろう。
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20.宇宙はわが心
(う)は是(こ)れ対待(たいたい)の易(えき)にして、宙(ちゅう)は是(こ)れ流行(りゅうこう)の易(えき)なり。宇宙(うちゅう)は我(わ)が心(こころ)に外(ほか)ならず。

○宇と宙:淮南子、斉俗訓に「往古今来、これを宙と云い、四方上下、これを宇と云う」とある。
○対待の易:処によって変化して各々その宜しきを得ること。
○流行の易:時に因りて変化して各々その宜しきを得ること。
○宇宙:天下、世界、世の中。
 ◎なお、交易、変域。言志録192条を参照されたい。

【付記】 この「宇宙はわが心に外ならず」とは一斎先生の悟りの境地をいわれたものと思う。
 陸象山は「宇宙内の事は乃(すなわ)ち己が内の事、己の内の事は乃ち宇宙内の事」と大悟したということである。

 なお、広大なる心を歌いあげた栄西(ようさい)禅師の興禅護国論(こうぜんごこくろん)の書き出しの所を参考として引用しておこう(現代語訳)。

  『大なるかな心や。天は果てしなく高いが、心は天の上まで突き抜ける。
  地は測り知れない程厚いけれども、心はその地を突き抜ける。
  太陽や月の光を追い越すことはできないけれども、心はその先にまでゆく。
  無数の世界をすみずみまで窮(きわ)め尽すことはできないけれども、心はこれらの世界に超出する。
  まさしく、心は大空であり、根本の精気である。
  心は大空を包み、根本の精気をはらんでいる。
  天と地はわがために覆載し、太陽と月はわがために運行し、
  四季はわがために変化し、万物はわがために発生する。
  大なるかな心や。(後略)』 現代人の仏教聖典、298頁、大蔵出版

 栄西禅師の表現は分析的であり、これを一言で表現したのが一斎先生の本分のことばと思われるが如何。
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19.公欲と私欲
(こころ)を霊(れい)と為(な)す。其(そ)の条理(じょうり)の情識(じょうしき)に動(うご)く。之(これ)を欲(よく)という。欲(よく)に公私(こうし)(あ)り。情識(じょうしき)の条理(じょうり)に通(つう)づるを公(こう)と為(な)し、条理の情識(じょしき)に滞(とどこお)るを私(し)と為(な)す。自(みず)ら其(そ)の通滞(つうたい)を弁(べん)ずる者(もの)は、即便(すなわ)ち心(こころ)の霊(れい)なり。

○条理:すじみち。理性。孟子、万章篇に「条理を始むる者は智の事なり。条理を終うる者は聖の事なり」とある。
○情識:感情意識。

【付記】 本文は少しわかりにくい表現のように思われる。要するに、われわれは誰でも善悪のすじ道を判別する理性というものをもっている。一方感情によって欲というものが動き出すが、これを理性からみて、合致する場合を公欲といい、ぶっつかる場合私欲よいうことであろう。そして公欲をすすめ、私欲を戒めたものと思う。
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18.一志をたてよ
閑想(かんそう)客感(かくかん)は、志(こころざし)の立(た)たざるに由(よ)る。一志(し)(すで)に立(た)ちなば、百邪(ひゃくじゃ)退聴(たいちょう)せん。之(これ)を清泉(せいせん)湧出(ゆうしゅつ)すれば、旁水(ぼうすい)の渾入(こんにゅう)するを得(え)ざるに譬(たと)う。。

○閑想:自分の心から生じるつまらぬ考え。
○客感:外界から入って心を動かす感情。
○退聴:退ききく。いうことをきく。服従する。
○渾入:混入に同じ。
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17.過(か)は不敬に生ず
(か)は不敬(ふけい)に生(しょう)ず。能(よ)く敬(けい)すれば則(すなわ)ち過(か)(おのずか)ら寡(すくな)し。儻(も)し或(あるい)は過(あやま)たば則(すなわ)ち宜(よろ)しく、速(すみやか)に之(これ)を改(あらた)むべし。速(すみやか)に之(これ)を改(あらた)むるも亦(また)(けい)なり。顔子(がんし)の過(か)を弐(ふたた)びせざる、子路(しろ)の過(か)を聞(き)くを喜(よろこ)ぶが如(ごと)きは、敬(けい)に非(あら)ざる莫(な)きなり。

○敬:自己に対してはつつしみ深いこと。14条参照。
○顔子:孔子の弟子。論語雍也第六に「孔子答えて曰く、顔回という者あり。学を好み、怒を遷さず、過を弐せず」とある。
○子路:孔子の弟子。孟子公孫丑章句上に「孟子曰く、子路、人之に告ぐるに、過有るをもってすれば、則ち喜ぶ」とある。
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16.人は自ら累す
(ひと)(あるい)は謂(い)う、「外物(がいぶつ)(るい)を為(な)す」と。愚(ぐ)は則(すなわ)ち謂(い)う、「万物(ばんぶつ)は皆(みな)(われ)と同体(どうたい)にして、必(かなら)ずしも累(るい)を為(な)さず。蓋(けだ)し我(わ)れ自(みずから)ら累(るい)するなり」と。

○外物:富貴名利など。
○愚:自己の謙称。
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15.急事を急がない錯慮(しゃくりょ)
(およ)そ人(ひと)の宜(よろ)しく急(きゅう)に做(な)すべき所(ところ)の者(もの)は、急(きゅう)に做(な)すことを肯(がえん)ぜず。必(かなら)ずしも急に做(な)さざる可(べ)き者(もの)は、卻(かえ)って急に做(な)さんことを要(もと)む。皆(みな)錯慮(しゃくりょ)なり。斯(こ)の学(がく)の如(ごと)きは、即(すなわ)ち当下(とうか)の事(こと)、即(すなわ)ち急務(きゅうむ)実用(じつよう)の事(こと)なり。「謂(い)うこと勿(なか)れ、今日(こんにち)(まな)ばずとも来日(らいじつ)(あ)り」と。讌(えん)を張(は)り客(きゃく)を会(かい)し、山(やま)に登(のぼ)り湖(こ)に泛(うか)び、凡(およ)そ適意(てきい)游観(ゆうかん)する事(こと)の如(ごと)きは、則(すなわ)ち宜(よろ)しく今日(こんにち)(な)さずとも猶(な)お来日(らいじつ)(あ)りと謂(い)う可(べ)くして可(か)なり。。

○做:なす。
○錯慮:あやまった考え。
○当下事:今なすべきこと。
○張讌:酒宴を開くこと。
○適意:意にまかせること。

【付記】 「謂うこと勿れ云々」は宋の朱子の勧学の文によるもので、次のように続くものである。
  「謂う勿れ、今日学ばずとも来日ありと。
   謂う勿れ、今年学ばずとも来年ありと。
   日月逝(ゆ)けり、歳(とし)、我と延びず。
   嗚呼(ああ)、老いぬる哉(かな)、これ誰の愆(あやまち)ぞ」
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ドア 言志四録(二)言志後録/1-14

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