今朝、フェイスブックを見ると 尊敬する友人の文章が目に飛び込んだ。
「海外から仕事で帰国し やる気満々のハイテンション、仕事のアポも沢山ある中、父が昨夜 自宅で他界。
父の死に直面し、一人息子の大学受験の真っ只中、、、、。
数日間何もずに最期の別れまで共に過ごすという選択もあったのですが、
今朝から予定通り活動することにしました。
ミーハーおやじは、今日も心機一転!頑張っちゃいます!!!」
(文章改編)
昔 読んだ本の一節が 思いだされた。
誇り高い人とは、何よりもまず自分自身に厳しい人である。
自らを厳しく律する人間は、一人息子の死であろうと 悲哀に負けることだけは 絶対に許さない。
悲嘆にくれ 仕事を放り出すようなことは 普通の人のやることであり、普通の人とは思っていない人間には 死んでもやれないことなのである。
おそらく 最も大きな哀しみに襲われた時期こそ、自分にしかできない任務に没頭したことだろう。
それしか、誇りを保つ道はないからだ。
そして 普通の人ならば 悲しみを克服して仕事に復帰する時期になって、
誇り高き人ははじめて、深く重い疲労感をおぼえるのではないだろうか。
「ローマ人の物語Ⅶ 皇帝ティベリウス / 塩野七生」