仏教でいう信とは、「信仰」と言わずに、「信心」とか、「浄信」(じょうしん・きよらかな信)とか、「正信」(しょうしん・すぐれた信)とかいうような言葉がありますけれども、自分のいのちのあり方に目覚める、正しく領解するという意味なんです。それが仏教でいう信心です。


ですから、何かを対象として、その対象に対して絶対的にその対象の意志に従って行きますよという意味ではありません。


阿弥陀如来を信じるという事は、阿弥陀如来の本願によって明らかにされたいのちの真実、「おのれのいのちはゼロであるぞということに目覚めよ」という、その本願に促されて、阿弥陀様の教えの通りに生かさせてもらいますという意味です。