反吐が出るほど気持ち悪い光景を見てしまった・・・。


TPPに関する議論で、

中野剛志氏がTPP反対の弁を述べているシーンだ。

中野氏の雄弁に頷く、何も分かったふりをしているおっさんたち。


これほど気持ち悪い光景はない。


経済ナショナリストの中野のよく分からない言説に、

とりあえず政府に反対しておけ、と考えているであろうアホ・ジャーナリストたちが

ニタニタしながら話を聴いている姿はおぞましい。


極端なまでの経済ナショナリズムと変な(それも残念で、かわいそうな、勇気のない)インターネット世論のナショナリズムの高揚が相乗効果のようになって、TPP反対論が繰り広げられている。


付記しておきたいのは、前出の経済ナショナリストがTPP賛成論の全てに反論でき切っていないということだ。

そえに、視野が狭い。

複眼的アプローチが必要なのではないだろうか。


まあ結局、私はTPP参加には賛成ですから・・・。

ボジョレ・ヌーヴォーが解禁になると、日本では大騒ぎし、

猫も杓子もボジョレ・ヌーヴォー、ボジョレ・ヌーヴォーと唱える。

まるでそれはなにか呪文を集団で唱えているようである。


なぜ、日本人はこれほどまでに、よく言って、たいして美味くないワインに狂うのだろうか。


やはり「初モノはありがたい」という伝統的気質からなのか。

電車に乗っているとき、ある女子大生たちの会話のなかの一言が否応なく聞こえてきた。

「ボジョレ・ヌーヴォーって美味しいよねー。」


どうやったら、あのワインを「美味しい」と感じられるのか不思議である。

とてもではないが、呑めない。



あんなワインを「ワイン」と思っている人々がいれば、それはワインに対して失礼である。


ばかばかしい騒ぎには本当に辟易とする。


なぜ、私は今になって、ボジョレ・ヌーヴォーについて書いているのか。

そう、今日、呑まされたからである。


あんなワインに狂う人々がいるなんて・・・信じられらない。

日本では、宗教に対して、一種の偏見がある。


しかしながら、

正月の初詣でに始まり、盆、彼岸、クリスマスと何やら忙しい国だ。


日本人に自身の宗教について尋ねると、「無宗教」というのが多いらしい。


ついでながら、私は神道である。



キリスト教、イスラームなど世界にはたくさんの宗教がある。

それらは人々の心に染みついている。

もう一歩踏み込んで言えば、宗教は人々の感情・思考に影響を大きく及ぼしているということでもある。


新約聖書では、人々に無償の愛を説き、クルアーンでは、人々に理想の生活を解説している。



聖書と言えば、聖書を読んだことのある方はいるだろうか。

先日、私は聖書とクルアーンを手にとった。


なんと面白い(interesting)のだろう。

信じるかどうかは別として、読み物として真に素晴らしい。


日本書紀や古事記を面白く(interesting)に思うのと同じ感覚だ。


キリスト教を理解するためにごちゃごちゃと調べるよりも聖書を読んだ方が分かる。

4つの福音書があるが、それぞれの性格が出ている。

マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ。

これらエヴァンゲリストの文の雰囲気がそれぞれ異なるため、

そのあたりに人間味を覚える。


聖書を読む前は抵抗があるだろう。

というか、なかなかとっつきにくい。

しかしながら、実際に聖書をひらいてみると、意外なことにそこらへんの小節より面白い。


そんなこんなで、私は神道であるが、聖書を一度、読んでみることをお薦めする。

視野を広く持たなければいけない。キリスト教やユダヤ教を理解するためにも、である。

それはイスラームについても同じことなのだが。