「神変大菩薩」と扁額のかかるこの神変堂は修験宗の祖・役行者が祀られているのでしょう。
善童鬼と彫られた鬼は前鬼、妙童鬼は後鬼で、役行者に仕えていた夫婦の鬼と私は考えます。
「富士山 村山古道を歩く」の著者 畠堀操八氏は、京都の本山修験宗総本山 聖護院の僧侶たちと行動を共にすることが多く、お堂の前でおのずと「南無神変大菩薩(なむじんべんだいぼさつ)」と数回唱えたので、私達も習いました。
「殺生禁断」の石碑。
「南無飯縄大権現」の石碑。
高尾山は飯縄大権現(いづなだいごんげん)を本尊としているのですね。
石碑や石造仏が並びます。ベンチも奉納されたもののようです。
「高尾山」と扁額のかかる山門をくぐります。
天狗は飯縄大権現の眷属(随身)なんですって。
本堂はこの石段の上。
高尾山薬王院の本堂。
南北朝時代に俊弦大徳が入山し、飯綱大権現を奉祀しご本尊とし中興したのでした。(1375年)
「高尾山薬王院有喜寺」は天平16年(744年)聖武天皇の勅令により、行基により開山されました。創建当初は薬師如来をご本尊としたために、薬王院という名前なのですって。
高尾山の飯綱大権現は不動明王の変化身とも言われているのですね。
登山道の脇にいらした不動明王の石仏です。
ふと見上げると、なんとレンゲショウマ!!!
一輪だけ咲いて見せてくれました。思いも寄らないこの出会いに感動!
(蓮華升麻 キンポウゲ科) 7月28日。
御岳山のレンゲショウマも、今はもう終わりでしょうかしら。
キジョランもあちらこちらに。(鬼女蘭 キョウチクトウ科)
花はまだつぼみ。花も鬼女になった姿もまだ見たことがない。
(つづく)