四谷消防署からも入れる消防博物館。
平日と違って日曜日は来館者が多い。特にヘリコプターには子供たちが順番を待っているので高齢者は遠慮する。
纏に粋を感じるのはどういうわけ?いくら高齢といえどもその時代に生きていたわけではないし、・・・黒柳徹子さんではあるまいし。
「火事と喧嘩は江戸の華」とか歌舞伎とかで町火消のきっぷの良さと粋を後から植え付けられたのかしら。
それにしても豪快な刺子半纏は素晴らしい。これらの絵柄は半纏の裏側に刺されているらしい。頭から水をかぶって、たっぷり水を含んだ密な刺子はいかにも火の粉を振り払いそう。消火を終えてから裏の絵柄を見せながら悠々と帰ってくる半纏姿に町民は憧れたに違いないわ。
武家の火事装束は消化に活動するというよりもちょっと雅で華やかな感じ。
NHK大河ドラマの『赤穂浪士』、長谷川一夫の大石内蔵助が「おのおのがた、討ち入りでござる」をリアルタイムで見ていました(1964年)。
徒党を組んで歩いても怪しまれないように、火事装束に似せた衣装を着ていたとか。
吉良上野介は滝沢修、大石内蔵助の息子の大石主税は誰がやっていたっけ。
テーマ音楽も印象深かった。芥川也寸志の作曲なんですね。YouTubeを聴きながら書いています。
(明暦の大火 1657年、 明和の大火 1772年、 文化の大火 1806年)
出火元は目黒の大円寺。真秀という坊主が盗みのために放火しました。
午前中に「鬼平犯科帳」の火付盗賊改の鬼平こと長谷川平蔵の墓所ということで訪れた戒行寺。
平蔵の父、宣雄は目黒行人坂の放火犯を捕らえた、とありました。
こういった繋がりは街歩きの醍醐味、歩く速さでものを見ることがますます楽しくなりますねえ。
戒行寺のことはこちらに載せました。
本物がいるはずないのに・・・と分かっていながら、目隠しをされ仕事で汗ばんでいる馬に感動してしまいます。
一時間たっぷりでも足りないくらいの消防博物館でした。
(つづく)