中川沿いにある幸手市郷土資料館を見学した後は、古川橋を渡って直進。すぐに右側に由緒ありそうな香取神社。
道路の反対側にも参道が続き鳥居があるので行ってみる。振り向けば三つの鳥居が重なってますます由緒ありげ。その先も参道が続いています。
この鳥居で参道は見えなくなっていたけれど、まだまだ続いているような予感。
郷土資料館の館員さんが下吉羽(しもよしば)香取神社の別当は地蔵院と教えてくださいました。参道はそこまで続いていたのかもしれませんね。道端の石碑はよく読めなかったけれど、道標もあったのかも。
創建は天正3年(1575)。境内には石碑が多く力石などもあり、この近辺の歴史や生活が感じ取れる神社でした。
田畑の中の道路の脇に民家がまばらにあるだけのこの近くに食事ができるところはあるのかしら。
資料館でいただいた幸手市観光協会発行の『たべある記』には「そば処 つるや」とあるけれど・・・。
心配していたら、予想を裏切るほどに「つるや」の大きく目立つ看板。
お蕎麦を美味しくいただいている間に広い店舗は満席になりました。人気の店なのですね。
ここには図柄がはっきり陽刻された庚申塔と、四面にそれぞれ3体ずつのお地蔵さまが刻まれた石碑。一番左は日蓮宗の髭題目のようです。
「排水ができるところに水田はできる」とかつて聞いたことがあるけれど、資料館の館長さんも「まさにその通りで、中川がその役目を果たしている」とのことでした。
平将門の首塚があるということで楽しみにしていた浄誓寺(じょうせいじ)。
阿弥陀如来を本尊とする浄土真宗の寺院です。
天慶(てんぎょう)3年(940)、平定盛・藤原秀郷等の連合軍と幸手で最後の一線を交え、討ち死にした平将門の首が埋められた塚とのこと。
また戦死した将門の首を愛馬がくわえて当地まで運び、埋められたという伝承も。いずれにしても将門の最期の場所にこれほど近づいたことはありませんでした。
五輪塔は直接将門のためのものではないけれど、平将門と関連する時代の遺物であろうとのことです。
(つづきます)