地下鉄の地上を歩く会 丸の内線-6⑤ ✿ 霞が関の官庁 国会前庭(南地区) 赤坂(山王)日枝神社 | 一人、"地下鉄の地上を歩く会"

一人、"地下鉄の地上を歩く会"

山や街を歩いて見聞したことや身の回りのことなどをお話しします。

日比谷公園の霞門を出てからは、霞が関の官庁を見学。

高校の同期生と歩いていますが、卒業後の経歴はさまざま。中に国土交通省出身の方がいて、私にはどれも大きな建物としか分からないけれど、さすがにそれぞれに詳しく説明してくれます。

 

 

 


江戸時代には大名屋敷が連なっていましたが、明治以降は国の行政機関が集まっています。
この弁護士会館は大岡越前守の屋敷だったって。なんだか心情的に納得がいきます。

 

 

 

 


裁判所合同庁舎です。
霞が関の名の由来?諸説あるそうですが、はっきりしたことは分かっていないとか。

 

 

 


桜田通りを突っ切ります。右にお馴染み「警視庁」。

 

 

 


そのまま外務省の前を通って、国会議事堂が真正面に見える通りに。
右側は国会前庭の北地区。「地下鉄の地上を歩く会」では、2013年に有楽町線で訪れています。彦根藩の上屋敷だったこともあり、桜田門が正面に見えます。井伊直弼はここから登城し、途中で桜田門外の変に遭いました。

 

 

 


左側の南地区は初めて。

 

 

 


回遊式の和庭園です。
江戸時代には九鬼氏の屋敷でした。明治期以降はジョサイア・コンドルの設計による本格的西洋建築の有栖川宮邸だったことも。

1896年(明治29年)宮内省より買い上げられ、霞ヶ関離宮となり、外国使節の宿舎、裕仁親王(のちの昭和天皇)の東宮仮御所としても用いられましたが、1945年5月25日の東京大空襲で被災し、戦後取り壊されました。

 

 

 


池を眺めながらの大きな東屋もあり、ゆっくりするには良いところです。

 

 

 


国会議事堂を右に見て通り過ぎ・・・、

 

 

 


山王坂を下りていきます。前方の緑の杜は・・・

 

 

 

赤坂の日枝神社です。主祭神は大山咋神(おおやまくいのかみ)

 

 

 


創建の年代は不詳ですが、太田道灌が江戸築城にあたり、川越日枝神社を勧請したのに始まるということです。

 

 

 


徳川家康が江戸に移封されたとき、城内の紅葉山に遷座し、江戸城の鎮守としました。
二代将軍徳川秀忠は江戸城改築の際、江戸城外の麹町隼町(現 国立劇場の辺り)に遷座し、庶民が参拝できるようになりました。

 

 

 


明暦の大火(1657年)により社殿を焼失し、四代将軍家綱により現在地に遷座しました。
往きは急な階段を上り、帰りはエスカレーターを使って山王下に下りました。

 

 

 

山王祭は三代将軍家光公以来、歴代の将軍がご覧になる「天下祭」として盛大で、現在もニュース等で報じられますね。
神田祭(神田明神)、深川八幡祭(富岡八幡宮)とともに江戸三大祭の一つ。
また京都の祇園祭、大阪の天神祭と共に、日本三大祭に数えられています。
 (つづく)