明治35年の写真は今!✿旧五合目石室 | 一人、"地下鉄の地上を歩く会"

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この写真の旧五合目石室は富士宮ルートの標高2600mのところにありました。うっすらと丸く宝永山が見えています。

 

富士山頂を背にして畠堀氏が立っている足元の広がりに石室が建っていたようです。

 

左の稜線に向かって登る登山者は突き当たりで右折して杭に沿って登って行くようになります。それが富士山頂への登山道です。

稜線を右折せずに直進するとお中道に入ります。(立ち入り禁止の札と柵が立っていたと思いますが。)

この石室は富士山頂を目指す人とお中道を廻る人との両方が利用していたようです。

 

 

旧五合目石室の場所から下を眺めたところです。

左の方に宝永の大噴火(1707年 宝永4年)でできた宝永山(標高2693m)が見えます。

 

中央に青っぽく見える屋根は宝永山荘。その左の小さい建物はトイレです。その二つの建物の間の道を登ってくるのがこの富士宮ルートです。

宝永山荘の前をトイレの方へ曲がらずにそのまま直進すると宝永山の第2火口の上に出ます。

 

右端に引っ敷き(ひっしき)を腰に巻いた畠堀氏の後ろ姿が見えます。

この時の引っ敷きは紛失してしまい、今は2代目を使っています。

失くした時用にと今度は名札を付けていますが、周囲の者は「認知症になった時の徘徊対策ではないか。」と囁きあっています。でも、心がけは見習わなければいけませんね。

 

ピンクの花はヤナギランです。可愛いですねえ。

 

ここでヤナギランに出会えるのは感動的です。富士山のこの高さで他にヤナギランが咲いているところがあるでしょうか。

 

東京近くでは大菩薩峠のヤナギランが有名でしたが、鹿の食害でやられたと聞いて久しく、昨年8月に復活していることを期待して出かけましたが、大菩薩峠も、お花畑で有名な丸川峠でさえも見つけることができませんでした。その代わりに鹿が家族連れで歩いているのに3回も出会いました。

 

富士山中腹にも鹿はいて、角や頭骨、糞を良く見かけますが、ここまでは上がって来ないのでしょう。これからもそう願いたいです。

 

いつもなら前夜は宝永山荘に宿泊して暗いうちに出発するので、写真を撮る機会が少ないのですが、この日はその後の行程が緩くて少しゆっくり出発。天気も良くて花をたっぷり楽しむことができました。

 

ヤナギランにばかり気を取られていましたが、白い花はヒヨドリバナ?いえ、この標高だとヤマハハコ?

黄色いのはアキノキリンソウでしょうか。

 

お花畑らしいのはここまでで、上の横長の写真でも判るように、規模はとても小さいのですよ。

 

ここから上は一面にオンタデが斜面を登っていきます。

 

これらの写真を探しだして見ていたら、まぁ!なんと私も引っ敷きを着けているではありませんか。

「山岳朋友会」という登山の会に属していて、そこの会長の手作りを頂いたものでした。青い裏地を縫い付けてあります。今は引き出しにしまったままですっかり忘れていました。

ついでに(あっ、失礼!)、因みに畠堀操八氏は「山樂カレッジ」という山の会を主催し、ホームページやブログも掲載しています。

 

これらの写真は201095日に撮影したものです。