鯛屋旅館に泊まったのは、2008年は5月と12月の2回でしたが、その後も何度か宿泊したり、食堂で行われる講演会などに参加したことがありました。
特に印象に残っているのは2009年の6月、富士市桑崎(かざき)の風神社のお祭りを見学した夜でした。
吉原祇園祭、通称「おてんのさん」の日で、夜になると明かりを煌々と点けた山車が周辺町内から吉原本町通りにやってきます。
露店も多く出て、こんなにも人が沢山いるものかと思うくらい賑やかでした。
翌朝、鯛屋旅館の部屋からみた「浜降り(はまおり)」の車です。
田子の浦で禊をし、塩水を汲み、笹にもたっぷり含ませて持ち帰り、その笹の葉で厄払いをするのです。
その日は鯛屋旅館から平家越えや左富士を歩きましたが、その間にこれから浜へ行く車、帰ってきた車に何台か出会いました。
その町会ごとの節と拍子で笛を吹き、鉦を叩きながら・・・。
最新(2020年)の鯛屋旅館の写真です。畠堀操八様から提供していただきました。
天もりがなくなっちゃったんですね。美味しかったのに・・・。
昼の部の営業時間は午前11時より午後2時迄 水曜日が定休です。
鯛屋旅館を出て、旧東海道をさらに西へ向かうと、吉原宿の道標があります。
ここを直角に左折し、やがて妙正寺に突き当たったら今度は直角に右折します。
この西木戸跡で吉原の宿場は終わります。
クランク型の路の街づくりは、江戸幕府が豊臣の残党が江戸に攻め入ってくるときに、この街角で防ごうという発想だそうです。
江戸城の各門を入ると桝形で直角に曲がっているのと同じ狙いでしょうか。
鯛屋旅館から道標に従わずに直進すると、吉原中央駅というバスターミナルに出ます。
明治の馬車鉄道の駅だった名残りの名前です。
2008年はまだ窓口があって、村山浅間神社に行くにはどうやって行ったら良いかとか相談に乗ってくれたり、バス時刻表の冊子を下さったり、その窓口の女性には大変親切にしていただきました。
(村山浅間神社には車で行ったことがあるけれど、バスでは行かれない、とのことでした。)
いつからか窓口はなくなり、バスに乗って出かけようとする時に、土地勘のないよそ者としてはとても心細くなりました。
✿村山みちを歩き始めた2008年は、まだ一般的には「村山古道・村山浅間神社・興法寺大日堂」を知っている人は、地元の富士宮市でも富士市でも大変少ないという実感がありました。
村山浅間神社に関しては富士市の人は殆んど知らないようでしたし、富士宮からタクシーに乗った時も運転手さん同士で知っている人を探しているような状態でした。
村山古道が全国区になったのは、富士山が世界遺産になる(2013年)少し前からだったでしょうか。
✿ひょっとして、と思ってネットを見たら鯛屋旅館の立派なホームページができていました。
✿静岡新聞SBSには、吉原祇園祭について【2020年は開催中止】とありました。