「なんか生きづらいな」と感じていた頃、

 

親族の集まりで甥姪に会うたびに

なぜか、苛立つことがありました。

 

 

甥と姪のことは大事に思っているし、

直接的な嫌悪感はない。

 

なぜ、こんなに複雑な気持ちになるのか

不思議に感じていました。

 

 

 

 

とにかく言ってみる ①』以降、

言語化することを意識していたため

 
ある日、夫にこの状況を説明し始めて
ハッとなりました。
 
 
私が苛立つとき、それは自分が我慢してきたことを、甥姪たちが自由にしていたときでした。
 
 
例えば、
 
<車の中で寝てしまったら>
 
・甥姪:起きるまでしばらく、遠回りをして車を走らせてもらえる
 
・私:着いたら即起こされる or 車内放置
 
 
<約束の時間が過ぎても起きない>
 
・甥姪:集合時間を遅らせる連絡が来る(大人から)
 
・私:時間は守って当たり前。習いごとも叩き起こされて、半泣きで行く
 
 
<飲食店での自由な行動>
 
・甥姪:個室であれば、走り回ってもOK
 
・私:周りの大人の顔色を伺いながら、終始静かに着席
 
 
など、自身の幼少期と比較して、当時は苦しくなりました。
 
 
 
 
そして私の場合、見事なまでに
 
イライラする=我慢してきたこと
 
という傾向が見られたのです。
 
 
これに気付いてからは
 
イライラする → なぜ苛立つのか、
深掘りするようにしました。
 
 
そして『諦めないと決めた日』同様、
我慢していた頃の自分を
 

「辛かったよね。ごめんね、許してほしい」

 

と、精一杯抱きしめることを繰り返しました。

 
 
 
 
最近あったのは、
 
カフェでお子さんに買ったものを持たせて、写真を撮っている女性を見て
 
なぜか気持ちが落ち着かないという出来事。
 
 
内観すると、
自分はカフェでこんなに自由に行動できない
 
という、我慢要素が見えてきました。
 
 
このように、現在も我慢していることであれば
解決策を考えますが、

 

気付くだけでも、だいぶスッキリします。

 

 

 

 

正直、複雑な心境のときもありますが、

 

苛立つ=気付きのチャンスだと思っています。

 

 

イライラしている自分に気付くこと、それを批判しないこと。

 
 

ポイントは、思わず失笑してしまうぐらいの余裕と、合理的に捉える姿勢かなと。

 

 

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