10年ほど前、適性テストのようなものを受けたとき、
「人を裁く仕事をしていますか?」と聞かれました。
予想外の質問で、身に覚えのない内容だったので
衝撃を受けたことを覚えています。
その後、自身と向き合っていく中で
ハッとした瞬間がありました。
「めっちゃ、自分で自分のこと監視してるわ!」
私は無自覚なままに、
他者ではなく、自分自身を裁いていたのです。
冒頭の質問から、数年後の気付きでした。
以前、母親との話を書きましたが、
(『諦めないと決めた日』)
私にとって実家は、心休まる場所ではありませんでした。
何も手伝わずに座っていると、怒られるのではないだろうか。
ゆっくりお風呂に入っていたら、文句を言われるかもしれない。
何か話せば、返ってくるのは批判や比較、太刀打ちできない正論。
怒られないようにするために、気が抜けない。
母親の監視の目は、
いつしか自分で自分を監視する目に変わっていました。
現在、母親とは離れて暮らしており、
同居している夫は干渉してくるタイプではありません。
それなのに、家でもなぜ落ち着かないのか。
理由は、“自らの監視の目” でした。
人が見ていなくても手が抜けない。
サボるという概念がなく、自分に負荷をかけてまでやってしまう。
管理されるのが息苦しく、周りに誰かいる状況が苦手。
日常生活を振り返ったとき、
なぜこんなに心休まる時間が少ないのか、腑に落ちました。
私は、自分を監視する傾向がある。
小言を言ってくる人はいないから、見張っていなくても大丈夫。
認める → 許す、という作業を繰り返して
自分の中に落とし込むようにしました。
監視している自分に気付くこと、それを批判しないこと。
ポイントは、「まぁいっか」と肩の力を抜くことかなと。