猫絵の姫君コラム⑦岩松家の稲村ヶ崎 | 智本光隆ブログ

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本日は5月22日・・・新田義貞が稲村ヶ崎に突入した日です。時刻は午前2時58分頃なのでもう過ぎているけど、それはそれとして。

新田軍は鎌倉府内に大挙して進入し、その日の内に高時以下の北条一門は、自害して果てました。

さて・・・稲村ヶ崎についてなにか書こう、と思ったのですが、諸般の事情により細かく書けません(何の事情だ?)

ですので「岩松家の稲村ヶ崎」について、です。

 

 

1,副将・岩松経家

 

新田義貞の挙兵は5月8日。鎌倉街道を進撃して鎌倉を包囲したのは5月18日でした。鎌倉攻めには岩松家の当主・岩松経家が参陣していました。新田一門内の立場からいえば、義貞の副将格であったと思われます。

ただ、経家がどんな立場だったのかはっきりと分かっていません。

 

義貞は開戦前に全軍を3つに分け極楽寺坂軍を大舘宗氏、巨袋坂軍を堀口貞満、化粧坂軍を新田義貞がそれぞれ率います。古典『太平記』では経家は一武将として登場して、各軍の大将としては扱われておらず。一方で古文書などは巨袋呂坂方面、もしくは極楽寺坂方面で一軍を率いていたような記述があります。

遊軍だったのか・・・?

 

 

経家と、どちらが上下だったか分かりませんが、極楽寺坂軍を率いてのは大舘宗氏。新田一門の重鎮武将です。それぞれ、岩松武子と大舘昇一郎の先祖に当たります。

ところが、大舘宗氏は開戦した18日。手勢を率いて干潮の稲村ヶ崎を突破して、極楽寺下の前浜まで進みますが、ここで鎌倉幕府軍の本間山城左衛門に討ち取られてしまいます。これは満潮で退路を断たれたとも言われていますが・・・

 

 

これによって新田軍は一時腰越まで撤退したので、義貞自ら極楽寺方面の指揮を執ることを余儀なくされます。開戦初日に最後の執権・赤橋守時を討ち取っていますが、19日、20日と戦線は膠着。鎌倉は難攻不落の様相に。

 

 

そして21日夜。この日になって義貞は極楽寺方面の指揮官から岩松経家を外して、新たに新田氏義(蔵人七郎)を任命します。

この氏義は新田一族中で一番の「謎の男」です。すでに稲村ヶ崎徒渉作戦を実行するつもりだった義貞が、一族の重鎮である経家を外してまでその地位に据えた人物。実は『太平記』には登場せず、古文書でのみ存在が確認できるのですが・・・

これ以降の歴史に氏義は一切登場しません。一応、鎌倉攻め後まで生きていたことは確認出来るのですが、建武の新政のころには忽然と姿を消しています。

戦後に程なく死んだのか?それとも、名前を変えたのか?

 

 

お、大河ドラマ『太平記』では突然登場して、稲村ヶ崎突入策を進言。鎌倉に攻め入り弓で敵兵を次々で倒す、イケメンの若武者に描かれていた氏義。そして、その回だけで以後はまったく登場しませんでした。

・・・新田が負けたのは早期に氏義が消えたからか?

 

 

なお、『猫絵の姫君ー戊辰太平記』の序章案としては、義貞と経家が稲村ヶ崎前で猫に導かれる案もあったり、とか。

 

上 現在の稲村ヶ崎

下 稲村ヶ崎から江の島

 

 

 

2,鎌倉攻めの「両大将」

 

岩松としては重要な作戦の指揮から外されていますが(突入軍の中に名前はあります)、この件で経家が義貞を恨んだ形跡もありません。なお、いろいろな創作で「岩松経家が尊氏の子・千寿王を奉じていた」というのがありますが、実は資料上はまったく確認出来ていません。

ただ、岩松家としては少々、納得していなかったのは室町時代の応永33年(1426)に幕府に提出した文書に、新田義貞と岩松経家を「両大将」としています。つまり、鎌倉攻めで新田と岩松は同格であった、と。

 

 

その可能性はまずないですが、これにより室町時代でも鎌倉攻めの大将は新田義貞と認識されていた、千寿王は不在とかが確認できます。ある意味、いい文書を残してくれています。

 

 

時代が巡り・・・明治になりますが、稲村ヶ崎に石碑を建てた新田俊純、武子、井上馨などはもうすっかり岩松経家については忘れたのか、当たり前のように義貞単独大将で建碑しています。

 

 

武子「明治以降は義貞公三男の義宗様の子孫設定で男爵になっているしな」

俊純「武子、自分で設定とかいうものではない。設定も武家の覚悟だ」

武子「父上がそんなだから誠丸がノンポリになるのです」

 

 

なお、新田男爵家第2代の新田忠純(岩松誠丸)は、歴代当主の中でも新田にも岩松にも無関心です。稲村ヶ崎の記念碑除幕にも出席していないのは何故なのか?

 

新田俊純、井上馨が建立の「稲村ヶ崎碑」(明治27年)

 

 

智本光隆