1,新選組の少年隊士

 

さて、人物帖の今回は新選組隊士・市村鉄之助です。

新選組を題材にした創作で、それが後期(鳥羽伏見以降)であれば、まず登場して来るのが鉄之助です。

 

 

市村鉄之助は安政元年(1854)、二度目の黒船来航の年に美濃大垣藩士の市村半右衛門の三男として生まれます。理由は不明のようなのですが、幼少期に父の半右衛門が大垣藩から追放の処分を受けます。市村家は縁者を頼って近江国の国友村に移り住みます。戦国時代には鉄砲産地として名を馳せたところです。ここで鉄之助は少年時代を過ごします。

 

 

この時代・・・父が浪人するとその子は「武士の子」として、家名の復活にすべてを賭けるということが見受けられます。新選組の沖田総司がそうですし(父は白河藩士)、前回紹介の中井弘もその側面はあります。鉄之助も武士に憧れ、その名を回復することを使命としていたのかも知れません。

 

 

鉄之助には八歳年上の市村辰之助という兄がいました。この兄とふたりで、慶応3年(1867)の新選組新規隊士募集に応募します。鉄之助はこの時にまだ14歳ですが、年齢を偽って入隊してともいいます。鉄之助は土方副長の小姓として取り立てられます。なお、入隊時点で両親は故人だったようです。

同じ年、新選組は隊士全員が幕府直参に取り立てられていますので、市村兄弟は晴れて「武士」に戻ったわけです。

 

 

ただ、これは時代の流れに逆行した動きでしかありませんでした。翌年1月の鳥羽・伏見の戦いで幕府軍は敗北。徳川慶喜は江戸に逃げ帰り、新選組も富士山丸で海路を撤退しています。この頃、鉄之助は労咳の重くなった沖田総司の介護役へ回りますが・・・

 

 

土方「鉄之助はお前に似ている」

沖田「似てやしませんよ。それより、彼を僕の世話から外して下さい。病をうつさないか心配なんですよ」

 

 

このよく知られた土方と沖田のやり取りが実話なのか、それとも創作なのか・・・あまりに広がり過ぎて確認出来ないのですが。

新選組は「甲陽鎮撫隊」となり甲州へ向かうも東征軍に敗北。江戸に逃げ戻ったところで兄の辰之助は隊から脱走して大垣に戻ってしまいますが、辰之助は新選組に残ります。

流山で近藤勇が捕縛されたあとも土方に従って会津、仙台、そして箱館へ。

土方の鉄之助への評価は「頗る勝気、性亦怜悧」というものでした。気が強く賢いとの意。

 

箱館奉行所(箱館政府政庁)

 

 

 

2,五稜郭を脱出

 

しかし、明治2年となり新政府軍が蝦夷地(北海道)上陸を開始。

鉄之助は土方に従って二股口で戦ったと思われます。二股口では箱館軍が勝利しますが、他の方面が破られて五稜郭に撤退。

そこでには、土方より「特命」として、日野の土方の姉・のぶの嫁ぎ先の佐藤家へ使者に出されます。陥落寸前の五稜郭からの脱出を鉄之助は拒みますが、土方の厳命により脱出。去る鉄之助を、土方が窓からそっと見送ったとも言われています。

 

 

この時、土方は鉄之助のために外国船を手配した・・・とも言われています。おそらく、箱館政府と関わりのあるフランス船であると思われので、『猫絵の姫君ー戊辰太平記ー』ではブリュネ大尉の逃れた軍艦としました。

 

 

しかし、出航前に土方は五稜郭から出撃して戦死。

海の上の鉄之助はどんな思いで箱館を遠望していたのでしょうか。

 

箱館大戦争

 

 

 

つづきます。

 

※写真を追加しました。

 

 

 

智本光隆