1,渋沢栄一のキャラクター
さて、渋沢栄一2回目ですが。
本作での渋沢の初登場は明治以降の6章です。築地の大隈重信邸にて武子と出会っています。
作中の通り、この時期は駿府に商法会所を立ち上げた時期です。小栗忠順の手がけた株式会社を、実現させたのが渋沢栄一でした。
渋沢のキャラついては・・・
これは小栗忠順、土方歳三にも言えることなのですが、私はデビュー当時から、というか、その前から、
「脇役の大物は基本的は世間がこうだと思っている」
そんなイメージで描いています。もちろん、イメージは人それぞれなので、作者のイメージでもあるのですが。
それはだいたい、
楠木正成なら飄々とした策謀家
織田信長はリアリストな統治者
豊臣秀吉は明朗快活な人たらし
という感じになっています。
(※歴史群像新書時代に主人公が織田ないし豊臣の人間なので、信長や秀吉は基本的に善玉でした)
小栗、土方と違って渋沢は主人公には何かの深い影響は与えるポジションではないので、キャラ的にも大きくいじってはいません。つまり・・・
実年齢の割に老練、
資本主義の父と言われる実利主義者、
井上馨との深い関係、
底の知れない闇の側面。
半面、叩き上げらしい腰の低さ、
同時代人としての主筋への忠誠心。
この当たりを意識して描きました。
結果として、大河の渋沢とは特に似ていない人物像となりましたが、個人的には「渋沢栄一とはこんな感じ」ではと思っています。
旧来の身分制度を無用なものと考えている性格のため、初登場では武子のことを「姫様」と呼んでいますが、次は「武子殿」と変えています。
そして、終章でまた「姫様」に戻しています。
このあたりは、彼の「岩松家由緒の者」という面と、実利主義という面を考えました。
武子は最終的に、渋沢にとって「様」に値する人間になった、という意味で。
渋沢生家「中の家」に立つ渋沢栄一像
2,渋沢と新田義貞
ところで、明治6年8月に発行された「旧国立銀行券ニ円札」というものあります。お札です。
この採用が決まったのは前年の明治5年なのですが、このお札に描かれているのは新田義貞と児島高徳です。
そして、この時の大蔵大輔が井上馨、渋沢栄一が大蔵権大丞です。選定に無関係とも思えませんので、この辺りは渋沢の「新田家郎党」の側面でしょうか。
江戸の世と共に捨てたはずの忠義を感じます。彼もまた、
「主君は岩松家でも徳川家でもなく新田義貞」と心のどこかで思っていたのかも知れません。
「旧国立銀行券二円札」
旧国立銀行券2円【新田義貞と児島高徳】 - 日本紙幣サイト (nihonshihei.com)
左が新田義貞
右が児島高徳です。
高徳は後醍醐天皇奪還に失敗し、桜の幹に漢詩を刻んだ「白桜十字詩」の逸話より。
渋沢については明治を通じて井上馨の右腕として活躍し、やがて「資本主義の父」と呼ばれます。それは本作外の話ということになりますが、その姿を武子がどう見ていたのか気になるところです。
・・・正妾同居をやったら井上馨や大隈重信なら、武子や綾子に斬られるな・・・多分(汗
最後に、渋沢が金井烏洲のために建てた碑は発見しただけで伊勢崎島村と、華蔵寺公園の2基ありました。どちらも、渋沢が晩年近くに建てたものです。
烏洲金井先生碑(伊勢崎市華蔵寺公園)
烏洲とあの世での再会が近づいて、なにか気になることでもあったのでしょうか・・・?
智本光隆