1,岩倉具定襲撃事件
さて、岩倉具定ですが、けっこういいキャラになったんじゃないか、と。
当初、高崎城の場面だけの予定だったのですが、維新後に東京で再登場し、品川では「岩倉具定襲撃事件」にまで物語が発展してしまいました。
これは物語のラストが箱館戦争になったこと、井上馨のキャラクター変更の影響でもあります。
なお・・・箱館政府の「岩倉具定襲撃事件」は本作の創作です。武子が「お公家を闇討ちなど・・・」と眉を潜ませたことに対して、土方が「狙いは他にあってな」と答えていますが、あの暗殺事件の標的は具定ではありません。
作中に登場している別の人物です。
もうひとつ、斬首された小栗の首を具定は権田村に返還しています。どうやら、具定の命ではなかったようですが。
このあたりも、キャラ作りに影響しています。
2,フルベッキ写真の「本人」
さて、維新後の具定ですが・・・
作中では飛ばされていますが、岩倉具定は江戸城開城の後、父・具視の命で佐賀藩の英学校である致遠館でオランダ人グイド・フルベッキに学んでいます。
フルベッキといいますと・・・
そう、この写真。
中央のフルベッキ親子の向かって右の人物が具定です。当時、19歳ですかね。
フルベッキの向かって右が具定
この写真に写っているとされのは、
西郷隆盛、大久保利通、坂本龍馬、勝海舟、明治天皇など。
本人かどうかは本コラムでは論じませんが、二階堂進先生が迷惑なことをしたというか、なんというか。
そういえば、井上馨も映っていましたっけ、左上の方に。
よく考えると、「フルベッキ写真に写っている本人」というと、ある意味で偉大ではありますね、具定(フルベッキ博士を挟んだ反対側に移っている、具定の弟の岩倉具経も本人)
なお、この写真を明治28年に最初に紹介した戸川安宅の屋敷は、作中にも登場した築地の大隈重信の邸です。
3,具定その後
さて、具定は明治3年にアメリカのラトーガス大学へ留学します。
岩倉訪問団を現地で迎え、父の具視に髷を切らせたあとで帰国します。明治15年には伊藤博文とともに、憲法調査のために今度はヨーロッパへと渡ります。
具視の死によって岩倉家の家督は一度は義兄の具綱が継ぎますが、一年後には具定が継承。侯爵となり、帝国議会の設置で貴族院議員となります。以後、宮内大臣や学習院院長を歴任。
妻の久子が明治34年に設立した愛国婦人会の初代会長であったのは、綾子のところで触れた通りです。
なお、具定には六男五女がいます。五男の岩倉具顕の娘が小桜葉子(岩倉具子)、息子が岩倉具憲。具憲はパシフィックホテル社長。
小桜葉子が結婚したのが上原謙で、その子が加山雄三、と。
私は中学くらいの時に、加山雄三さんと越後湯沢にあった加山キャプテンコースト湯沢のコースにて、あわやぶつかりそうになりました。
まっっったく、どなたか存じ上げませんでしたが。
(※親は分かっていました)
・・・今度あったら「あなたの曽祖父様を描きました」と自己紹介しましょうか。
お会いする機会があるのかどうか、それが問題ですが。
智本光隆