初校終了直前に八重の桜の再放送が最終回となりました(1週間前ですが)
面白かったですよ。後半はちょっと八重さんの主体性が薄い感じがしますが。
大山捨松は……鹿鳴館のお当番回のあとは、お茶を入れるお茶松さんになっていて、そこはやや残念ではありますが(汗
ドラマでは丸々カットでしたが、明治21年に元会津藩主である松平容保の子・容大が入学しました。明治になって容保と側室の間に生まれた子です。当時20歳。
会津の女である八重さんはこれを大いに喜びまして、旧主の子を大歓迎で同志社に迎えます。
ところがこの容大……かなりの問題児で。元は学習院に通っていたのですが、素行不良で問題を起こして退学に。元家老の山川浩が後見人となって面倒を見ていましたが、会津ルートで同志社に転校しました。
これが……同志社でも大阪の繁華街に繰り出してまた問題に。それ以上に20歳ということは徴兵年齢です。私学には徴兵猶予が与えられていたのですが、それが撤廃されたのがこの時期。「そったらこんなところにいる意味はねえがし」とばかりに、わずか1年で退学していまいました。
「またすても殿の御役に立てなかった」と八重さんは落ち込んだそうです。そして、再び山川浩が後見役となり、今度の転校先はなんと早稲田。
ああ……早稲田。
早稲田ね……
鹿鳴館のロッカールーム
捨松「お願げえします、お願げえします。綾子さんに若殿のことさ頼んでくやんせぇ」
武子「えー綾ちゃんそういうの嫌がる子だし」
捨松「そんだがらまず、武子さんにお願いに来だんだぁ。武子さんが頼むのでねぇど絶対受げ入れでぐれねえし」
武子「まあ、慶喜公と会津中将(容保)が逃げ帰ってきたから、小栗様があの最期を遂げたわけだし。恨みに思って当然な気も」
捨松「わたすはその決定さ1ミリも関わってねえし。
亮子「当時は7歳ですしね。兄上(山川浩)は幾分関わっているんじゃないかという気も」
捨松「もう、ここすか頼むところがねえがしぃ。わたすの鹿鳴館での働きに免ずで、どうがどうがぁあ」
武子「ええい!そもそも、誇り高き会津武士の娘が泣きながらコネ転校と兵役免除を頼みにくるんじゃない。ヴァッサー大の才媛はどこに行ったぁ!」
こうして、捨松さんの涙の訴えが功を奏したのかは定かでないですが、無事?若殿は早稲田に転校しまして。
その後、卒業までは何故か兵役も免れており。容大は卒業後に陸軍に入り、大尉まで昇進。
ところが、今度は窮乏に喘ぐようになり、最終的には貴族院議員となっています。
捨松「なして早稲田だど徴兵免除が許されんだがぁ?」
武子「綾ちゃんが頼んでくれたんだろう。このところ、早稲田で絶大な力があるし」
亮子「家宰とか金庫番とか言われてますよね。どこで金策しているんでしょうか、綾子さん?噂では元小栗家の家臣が赤城山からなにか運び出していると」
武子「深入りするな。赤城山の谷に埋められるぞ」
亮子「了解です」
捨松「うう……わたすはまだ殿の御役さ立でねがった不忠者だ」
武子「だいたい、武家が兵役を嫌がってどうする!我々の家業はなんだと!?」
実際にはこの容大転校騒動は明治21年なので鹿鳴館は閉館後。陸奥亮子さんは次の赴任地のワシントンに赴いた後ですが、それは置いておくとして。
なお、八重の桜では国家主義者と化した徳富蘇峰と対立する……という流れでした。蘇峰が変節したのは史実ですが、実際には同志社の他のメンバーと不和になる中で、蘇峰は八重さんに忠節を尽くしたそうです。
その変節ですが、ドラマでは徐々に変化した……となっていますが、日清戦争後にヨーロッパ視察に出かけたのですが、帰国したら別人のようになっていた……というらしいのですが。
なにがあったのかは、近現代史の謎となっています。
亮子「蘇峰さんは筋金入りの平民主義でしたよね。どういう心境の変化でしょか?」
武子「さて、馨さんが言っていた。『彼はきっと力の福音に屈したんでしょうね』とか」
捨松「おっかねえなしぃ……」
そんな説もあるらしいですが。
というか、こういう場合っていつも井上馨が黒幕扱いな気が(汗
ところで、捨松さんと陸奥亮子さんて不仲説があるらしいのですが。なんでまた?
そういえばこの「於鹿鳴館貴婦人慈善會之圖」って、武子さんと陸奥亮子さんがいないんですよね。黒い服が捨松らしいです。
戸田極子や鍋島榮子はいます。
慈善にあまり興味がないのか?
