東大対決!徳川15代将軍たちの作った江戸はスゴい講座

徳川15代将軍

家康・秀忠・家光・家綱・綱吉

家宣・家継・吉宗・家重・家治

家斉・家慶・家定・家茂・慶喜

 

4代将軍・家綱 武力の時代から平和の時代に変貌

 

千葉だったところを、江戸にした

ポイント 隅田川にかかる両国橋

江戸(武蔵)と千葉(下総)の間に両国橋をかけて江戸を広げた

挑戦状1 家綱が両国橋をかけた本当の狙いはてなマーク

A火事から庶民を守る

ポイント・明暦の大火(死者10万人をだした江戸時代最大の火事)

歴代将軍が橋をかけなかった理由・・・

橋があると、敵に攻め込まれやすくなる。

そのリスクを冒してでも、人々の安全を守ることを優先。

 

橋の周りの、火除地(ひよけち)

火事の時、橋に火が移って焼け落ちないように、建物を建てる事を禁止

挑戦状2 橋を守る火除地に建物を建てる条件はてなマーク

A簡単に取り壊せる

 

相撲の町・両国 国技館の相撲は、江戸時代から続いている

土俵さえあれば、簡単にできる。すぐに壊せる・すぐに作れる

 

挑戦状 3 家綱が江戸の町から失くした物はてなマーク

A・天守閣

天守閣は、江戸の町を軍事的に守るもの

家綱は、それを建てる金があるなら、江戸の町を整備するために使おうと言った。

人の日常生活を大事に考える思想が生まれ、

家綱は、江戸の町の発展になくてはならない将軍。

家綱の平和な町づくりを支えたのが・・・

将軍側近・保科正之・・・徳川2代将軍・秀忠の息子

 

課外授業ロケ

高橋秀樹さんからの挑戦状 1

江戸時代、地図が毎年のように発行された理由ははてなマーク

A参勤交代(全国の大名が、定期的に江戸に出張させられる制度)

参勤交代、さらに、江戸の開発で公共工事が行われ、人も建物も変化。

 

日本橋から、船に乗り・・・

船からしか見る事が出来ない、秘密が残された石垣

江戸城の東側の石垣 ビル街に、江戸時代から残る石垣が残っている。

 

高橋秀樹さんからの挑戦状 2

石垣のマークには、「つくった人が分かるように

という理由のほかに、もう1つ。その理由ははてなマーク

A盗難防止

当時、江戸に石がなく、伊豆や小豆島から運ばれたと言われる

大きな石は、2艘の船を並べて、真ん中を置いて、水の浮力を利用して、運搬

石垣の石は、江戸で取ることができず、貴重のため、盗難防止マークが必要

 

両国橋、到着

高橋秀樹さんからの挑戦状 3

当時、日本橋を渡る事でできる、江戸の町で禁止されていた事とは?

Aを食べる事

江戸の中心部では、宗教上禁止されていたが、

江戸の外だった両国では食べることができた

山くじら・・・両国でも、堂々と食べることができないため、

山くじらという魚として食べられていた

薬食い・・・江戸の人々が禁止されていたお肉を食べる時、

薬を食べる」と言って食べていた

 

初代将軍・家康 江戸幕府を設立

挑戦状 4 家康が造った、日本全国で使えるモノとは?

A全国共通で誰もが使えるお金

家康以前は、地域ごとに使われていたお金の種類と価値が違った

その価値を統一する事で、全国で同じお金を使う事で、経済の発展を狙った。

奈良時代にあった「和同開珎」は流通せず、

豊臣秀吉が作った天正大判は、現在の100万円で、

上層階級だけ使われなかった・・・。

家康が作った小判・・・慶長小判 1枚・1両 現在の10万円にあたる

庶民の為には、銀貨も作った。

金座・銀座・・・江戸時代に作られた、貨幣を製造するための場所

東京の繁華街「銀座」の由来。

金座があった場所には・・・日本銀行本店の場所と一致

お金の流出量コントロール。経済の安定化。

 

中国のお金「栄銭」・・・お金の統一をする以前に、使われた。

挑戦状 5 栄銭が日本に大量に入ってきたきっかけはてなマーク

A船の下を敷いてきた

当時、日本に来ていた船は転覆しやすかった

船底に、栄銭をつめて安定させた。

日本人が、中国人に、お金の事を聞き、日本に輸入。

栄銭などを溶かして作られたと言われるのが・・・鎌倉の大仏