予約を忘れていたけど
いつものうなぎ屋さんだったらすぐ買える
お気楽にうなぎ屋さんへ行くと。。。。。
蒲焼きを買えるどころか
予約もお断り
けんもホロロに追い返された気分
店の中をチラッと見ると
うず高く積み上げられた蒲焼きの白い紙包み・・・・・
店内に入れる客は一人だけ
アッサリ諦めて
この夏は宮崎産の蒲焼きを買いました
いつものうなぎ屋さんの浜名湖のうなぎも美味しいけど
あの千種川の天然うなぎの美味しさには適わないと、今でも思っているのです
26歳まで住んでいた赤穂市、千種川の下流、汽水域の町は
川の釣り、海の釣り、海底を探ればアサリがザクザク
子供の頃の遊び場でもあり、貧しい頃の有難い川や海の恵みだった
長兄が16~17歳頃から梅雨明けの千種川に潜って
手作りのヤスの先に、突いたうなぎが絡まって上がってくる様子は爽快だった
それは、兄が地元を離れるまで毎年続いたのです
私は小学生から父の海釣りに連れていかれ
釣り用の木造船の櫓を漕いでいたので
海や川には慣れていて
兄が潜る時は一緒に行って
川の底から兄が浮かび上がってくるのを見守っていた
川岸に沿って泳ぎながらうなぎを探す兄が
中々浮いてこない時は、泣きながら
兄ちゃ~~~ん 生きてるかぁ~~~
川面にうっすら兄の背中が見えると、小さな心臓はホッと緩むのです
またこの河原は、冬になると父がボラ掛けの竿を大きく振りながら
右へ左へと移動する度に
私は竹の魚籠とタモを持って父の動きに合わせて走り回る元気女子だった
ボラは独特の匂いがある魚だけど
母が一度焼いてから茶葉を入れて煮付けにしていました
ボラの卵巣が高級食材のカラスミになるなんて…大人になって知った
強烈な想い出がいっぱい詰まった、懐かしい千種川の河原です
さて・・・・・突いてきたうなぎは
どんな大物の魚でも見事に捌く父がうなぎ屋さんのように綺麗に捌いて
流れ作業のように焼き方?の母に廻ります
今 思い出すと笑ってしまうけど
ん十年も昔は
家の台所でうなぎを焼いたりしなかった
家の前の道…というか、道路に七輪を置いて炭火を熾して
母は堂々と立派な天然うなぎを焼いていたのです
普段は家族分あればいいのですが
たくさん捕れた日はご近所にも配ったり
呆れたのは
身体が弱いはずの母が
夕方 焼きあがったうなぎを団扇で冷まして
箱詰めにして、風のように夕方の電車で大阪にいる次兄の処へ持っていく。。。
美味しい物はみんなに食べさせたい、母の一途な想いだったのだろうなぁ
私は海の近くで育って、今も同じような環境で暮らしている
生まれてから今日まで、千種川と加古川という
大きな川の傍で生きてきた
都会で暮らしたいと思わなかったのは
この二つの川への想いが深かったのかも知れない。。。