「あー、幸せな人生だったー」と最期の日に言える人生を歩こう -2ページ目

「あー、幸せな人生だったー」と最期の日に言える人生を歩こう

アトピー&食物アレルギーを持つ子供を育てて30年が過ぎました。
夫と別居し、娘とふたり暮らしを楽しむため、見ないふりしてきためんどくさいことに向き合い始めてます。

 


今日は、両親の介護の話




今年に入り

一時行方不明になったりと

様子がおかしくなった父



地域包括センターの

担当の方に相談して

介護保険利用の申請を

してみることにした



が・・・



父だけのつもりが

ケアマネさんの鋭い指摘で

母も介護申請をすることに



2人時間差で


申請書類提出

主治医の推薦状取得

ケアマネさん面談

地域包括センターとの話し合い



片道4時間かけて

何度も何度も帰省したり

泊まり込んだり



介護申請って

本当に大変なんだな



骨身にしみた



でも、申請しないと

どんなに便利なサービスでも

使うことはできない



そして

申請開始から

介護認定までは

3〜4か月かかる



それも

スムーズに

進んだとしての話



だから

まだ必要じゃないかな

ってときに申請だけでも

しとくといいらしい



そうすれば

自分も

両親も

追われることはない



「申請だけでもしとくといいよ」



私は周りの人に

そう、勧めてる






 


久々に

備蓄米発見



購入は

今回で2回目



来年になったら

ブタさんたちのごはん

と言われたけど



食べてみたら

いつものお米と

なんら遜色なし



炊き込みご飯なら

チャーハンなら



いやいや

普通に食べて

おいしいごはん



昔の人の知恵で

日本酒ちょっと入れて

炊いてみたけど



入れたから何?

ぐらいの感じ



うちは1回に

3合炊くから



3合ずつ

ビニールに分けて

冷蔵庫で保管



ところで



備蓄米を選択してる

私が幸せか



やったー

備蓄米あったあった



その観点で

購入なら

オッケーと思う



備蓄米しか買えない私



その観点なら

普通のお米を選択したほうが

幸福度は上がると思う



こういう選択が

ホントに大事




 



今日は、年老いた両親の話




高齢になった両親のところに

片道4時間かけて

私は通っている



私にとっては

ずっと

ヒーローだった父

できないことなんか

何一つない

なんでもこなしちゃう父



そんな父が

ひげ剃りの充電さえも

できなくなった



私のことを

東京から来るお姉さん

そんなふうに呼ぶようになった



大好きだったお父さん





そして



皮肉、悪口、文句

私と話すときは

そんなことばっかり言ってた母



話せば、ケンカばかり



そんな母を

私は長い間、拒絶していた



母のことは

大嫌いだった



それなのに最近は

私の顔を見ると

みなこ、ありがとう

って言いながら泣くんだよ



ずるいよ、お母さん



大嫌いでいたから

実家に帰らないことに

罪悪感なんか1ミリもなかったのに




両親の顔を見るたび

心がキリキリ痛くなる



その両親に

また来るねと言って

背を向けたとき

心がぎゅっと痛くなる



いつまでも私の背中に

手を振ってる

お父さんとお母さん




この瞬間が

一番つらい