高齢者の免許返納を考える | 「あー、幸せな人生だったー」と最期の日に言える人生を歩こう

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アトピー&食物アレルギーを持つ子供を育てて30年が過ぎました。
夫と別居し、娘とふたり暮らしを楽しむため、見ないふりしてきためんどくさいことに向き合い始めてます。

最近、高齢者の自動車事故が増えています。

本当に痛ましいことです。

 

 

私の実家は、千葉のあまり栄えていない場所にあります。

両親は高齢ですが、元気に2人で生活しています。

 

父は運転免許を持っており、週に何回か運転をして母と買い物に出かけています。

 

年々、自転車や徒歩で行けるスーパーやお店が少なくなり、私の両親にとって車は必需品であり、両親にとっての足でもあります。

実際車がなければ、買い物にも病院にも行けないのが現実です。

 

最寄りの駅は、徒歩10分ほどの場所にありますが、電車がくるのは1時間半に1本。

バスは、1日に数本しか通っておらず、タクシーだって駅前に止まっていることはあまりなく、最近はタクシー会社自体がなくなっているようです。

 

免許のことは、父とよく電話で話をします。

免許を返納することも、私から提案することもあります。

 

父は10年ぐらい前に大病をしており、通院が欠かせません。

大きな病院は、実家からは遠い場所にあり、駅のそばにあるわけでもないので、車で行くこと以外に選択肢はありません。

手術をして入院していたときは、親せきの人にお願いして車を出してもらい、母が毎日通っていました。

病院までタクシーで通うとなると、1回の往復だけで数万円かかります。

 

自分がこの年齢になって、

「もう少し近くに住んでいれば、何かもう少し力になれたのに」

と、痛感しています。

でも、結婚しようと決めたときに、両親が老いていく現実を想像することができなかった。

 

私の両親の世代は、

「人に迷惑をかけたくない」

と、日々それを貫いていて生きている人たちが多いように思います。

 

だから、自分でできることは自分で、人様に迷惑をかけず生きていきたい。

 

事故さえ起こさず、加害者にも被害者にもならず、誰にも迷惑をかけず、自分のことは自分でできていれば、何の問題もないこと・・・。

 

しかし、年齢も上がり、判断力も下がり、いろいろな機能が低下しているのは事実。

それを認めたくない両親がいるのも事実。

 

ここまで地方での過疎化が進み、高齢者が多く住んでいる地域は、行政が個々の家庭に手を差し伸べるというのは、不可能な現実。

 

父は去年から数か月に1回、教習所に通っています。

学び直しをして、適性を教習所の先生に判断してもらっているようです。

 

それでも、日に日に年老いて、判断力が下がっているのは、父本人も自覚し始めています。

 

今、何ができるのか、一生懸命考えていますが、

本当に分かりません。

 

高齢者の運転で若い人の命が奪われるなんて

と言う人もいます。

1つの命は、1つの命、どちらも大切だと思います。

 

免許は返納してほしいけど、日々の生活を付きっきりで支えることはできない。

どっちにしても、無責任な対応しかできない自分に腹がたちます。

 

 

長い文章にお付き合いいただきありがとうございました。