むかーし、むかーしのお話です | 「あー、幸せな人生だったー」と最期の日に言える人生を歩こう

「あー、幸せな人生だったー」と最期の日に言える人生を歩こう

アトピー&食物アレルギーを持つ子供を育てて30年が過ぎました。
夫と別居し、娘とふたり暮らしを楽しむため、見ないふりしてきためんどくさいことに向き合い始めてます。

子供が生まれると、定期的に地域の保健所での乳幼児健診がありますよね。

 

確か・・・1か月健診は出産した病院で、3か月健診以降は地域の保健所で・・・ということだったと思います。

 

「保健所の健診の時、保健師さんはママに優しかったですか?」

 

下の子、食物アレルギーの息子が3か月健診を受けたとき、私は虐待を疑われました。

 

というのも、息子が生後3か月のとき、はっきりと食物アレルギーとの診断は出てなくて、全身のアレルギー症状は「乳児湿疹によるもの」と言われ、毎日病院でもらった湿疹の薬を塗っているだけの治療でした。

でも全然よくなりませんでした。

当時息子の顔は目や鼻のあるところが、パッと見では分からないぐらい赤くただれていました。

それを見た保健師さんが

「病院には連れて行ってますか?治療は受けてますか?」

と私に言ってきたんです。

息子が生まれて3か月、上の娘と共に、ほとんど寝られない毎日を送ってきた私に対して、この言葉はとてもとても深く心に突きささりました。

「放置してるんじゃないですよね?」

この言葉に、私は激怒し、めちゃめちゃ反論しました。

 

まぁすぐに疑いは晴れましたけどね。

 

それでも、当時、若ママだった私は深く深く傷つきました。

その3か月健診以降、保健所の健診は一度も受けませんでした。

 

まぁほどなく、アレルギーの専門病院が見つかり、そこに1か月に一度通うことになったので、毎月そこで健診を受けていました。

 

子供が小さければ、ママだって、まだまだ新米。

分からないことだって、たくさんあります。

不安なことだって、たくさんあります。

心配で眠れないことだって、たくさんあります。

 

毎日

これでいいんだろうか・・これであっているんだろうか。。。

悩んで悩んで、ママは子供を育てているんです。

 

私の友達も健診時に

「小さいわね、母乳じゃ足りないのよ。ミルクを足しなさい」

と言われ、すごく悩んでいました。

 

新米ママがほしいのは、とりあえず

「大丈夫よ」

という言葉じゃないでしょうか。

 

不安なときの「大丈夫よ」という言葉は、魔法の言葉だと思います。

 

当時私がお世話になったアレルギーの先生は、だいぶのんびりした先生だったんですが、

「大丈夫だよー」

が口癖でした。

 

今は、健診時、どうなんでしょうね。

 

今日も読んでくださった方、ありがとうございましたm(_ _ )m