山縣は対照的な人物です。すでに奇兵隊時代から軍資金を横領している。明治維新後の陸軍省でも、懇意の商人に多額の公金を貸してキックバックを受け取り、バレそうになると彼に罪をかぶせて自殺を強要しました。いわゆる「山城屋事件」です。
自殺を強要している山縣最終的には陸軍の最高権力者となり、首相にまで上りつめます。しかし政府にいながらこの人には「公」の意識がなく、自分の利益と権力拡張ばかり考えているようにしか見えない。彼が死ぬと、陸軍はいきなり陸軍大学の入学候補者から長州出身者を全員落としています。実は部下たちからも嫌われていたんですね。
会社を含めて日本の組織には、どうも山縣有朋タイプの人が圧倒的に多いように思います。そして不思議なのことに、そういう人物についていく人が結構たくさんいるのです。短期的には自分たちも利益があると思っているのでしょうか。
漫画版では物語は渋沢栄一の部屋に幽霊となった山縣有朋が現れるところから始まり、対照的な2人の人生を振り返りながら進みます。
読み終わった時、『論語と算盤』で渋沢が言いたかったことが自然と頭に残るかと思います。『論語と算盤』は論語の解釈というより渋沢栄一の「生き方の美学」です。
元首相の山縣の国葬は、関係者しか出席しない寂しいものでした。一方民間人だった渋沢の葬式には一般人がたくさん来ています。かれはそれだけ人気があったのです。この違いはやはり、その人の「美学」の問題でしょう。
社会は利害関係を重視した繋がりが多いことは確かです。それだけを追求すると、世の中は山縣のような人間ばかりになってしまいます。
しかしながらそこで互いの気持ちが繋がっていたら、人間ならば嬉しいはずですよね。
渋沢の文章を読んでいると、「お金を儲けるだけでいいのですか?」と問いかけられているような気がします。
