前に現実の中で似たような場面があった…?

空想物語を頭の中で眺めながら、同時に過去の出来事が高速再生されていく。


前に勤めていた職場。

当時はまだ「カスハラ」なんて言葉が無い時代。

社内にはありとあらゆるクレームが押し寄せる部門があった。

わたしは当時その部門を近くでみていて、「もっとこうすれば良くなるのになぁ」なんて事を思っていた。

その部門は社内では誰もが嫌がる場所だったし、

花形部門の対極の場所だった。

…その部門の業務をコールセンター化していこうという取り組みの計画が社内で持ち上がって、

…だれもが嫌がる場所だし、なんなら「そこだけには行きたくない」と思われる場所だったけど、

何故か私は「それができるのは私しかいない!」と謎の使命感にかられ、「わたしやります!」と手をあげてしまった。

…誰もが嫌がる場所。やりたくない仕事No.1。やって給料が上がるわけでもない。

なのに、なぜか「やります!」と言ってしまった。


空想物語のなかで「私が地球にいく!」と言っていた場面と、

以前の職場で「私がやります!」と言った場面が同時に脳内で再生されている中、わたしは涙が止まらなくなっていました。

…なんとかしなきゃ!という謎の思いは生まれる前から持ってきていた性質だったんだな、と。



結局、わたしは部門を立ち上げて部門として稼働できるように体制も作れたという成果は得られたものの、

…ボロボロになってしまい、鬱っぽくなって逃げるようにその会社を辞めました。


その時の喪失感というか、放心状態というか、無力感、自分の居場所がどこにもなかったというような思いとか…。

とにかく自分が情けなくて、自分のダメさにノックアウトされてました。


わたしは会社のため、お客様のため、一緒に働く人のため、自分の犠牲をいとわず頑張ってきたのに、

私の存在は職場からは、いてもいなくて同じ、なんならいない方がいい、くらいに思われてたのかも…という事にうちのめされました。


…まぁそう誰かから言われた訳ではないので、自分で勝手にそう思い込んだだけなのかもしれないですけどね。

周りはどうであれ、自分だけは自分をもっと評価してあげれば良かったのに。もっと褒めてあげれば良かったと思うと同時に、

「なんでもっとうまくできなかったんだろう」

いまでもそう思っています。


これ、私の自分にかけてる呪いですね。きっと。

「なんでもっとうまくできなかったの?」って。


きっとこの「のろい」を解くために、地球にやってきたのかもしれないですよね。

何かを成し遂げる事ができずボロボロになってある場所に辿り着く…そういう空想物語、以前別バージョンのを見たことがあるんです。


「前にも同じようにチャレンジして失敗した。だからこそ今回は、その失敗を知っている自分こそが、やり遂げるにふさわしい」みたいな事を思って、生まれてきたのかも…なんてことを空想物語をみながら感じました。


その時にうまくできなかった事を課題として持ってきたのかもしれないですね。

人を信じるとか、人を頼るとか、助けを求めるとか、一人で抱えないとか、

私がうまくできないことができるようになったら、ステージクリアできて、違うステージが登場するのかもしれないですね。


誰かに読んでもらう内容には全くなっていない、

ただの独り言のようなことをダラダラ書いてしまったけど、

もしここまで読んでくれた方がいたなら

本当にありがとうございます。


瞑想は時に思いもやらない事を連れてきますね。

内観にも繋がるのでしばらく続けていきます。