(よし、沢から上がろう)。
そう決心した。
完全に日が暮れる前に車道を探し、キャンプ場に辿り付かなければならない。
手早く身支度を済ませ、大小の岩が転がる狭い河原から一段高くなった台地へ上がる。
藪の中で引っかからないように毛鉤は外し、ラインもリールの中に収容した。
日中でさえ日が差しにくい杉の林のなかは、すでに暗くなり足元が見えにくいのだが、
幸いにも下草があまり生えていないので、藪漕ぎのような状況にはならなかった。
キャンプ場への最短コースは上流に向かって斜め右方向のはずなのだが、いまとなってはその判断に自信がなくなっている。
とにかく車道を目指し、沢と直角方向にまっすぐ進む。
沢から30メートルほど進むと沢音も遠のき、それまで平たんだった台地は少しずつ傾斜を増し急な斜面になった。そう遠くはない斜面の途中に車道が通っているはずだった。
(車道には白いガードレールがあったはず…)
そう思って頻繁に前方の斜面を見上げるのだが、ガードレールは見えなかった。
もし、車道に行き当たらず延々と斜面を登り続けるか、下りになって別の沢に行き当たってしまうようなことがあれば、それは心配していたとおり別の沢に入り込んでいたことになる。おそらくその場合は、日没時間切れとなって山中で夜を明かすことになるだろう。
いま登っている斜面の途中で車道に行き当たるという結果以外は、すべてハズレなのだ。
半ば祈るような気持ちで斜面を登り続けた。
〇
底にフエルトが張られた釣り用のシューズは、踏ん張りがきかずにズルズルと滑って歩きにくい。四つん這いになって草を掴むようにして登っていく。
車道を走る車がいれば、ヘッドライトの明かりが見えるはずなのだがそんな気配はまったくない。本当に早池峰山の懐深くに入り込んでしまったのだろうか……。
地図もライトも通信手段も持たない状況では、歩く以外に方法はなかった。迷ったら動かないほうがいい、という登山の鉄則も頭の中にはなく、遭難しかけているという実感もなかった。
天気予報では、明日から大雨という予報になっていたはずだ。もし、今日中に戻ることができず、沢筋でで大雨に降られるようなことになったら、それこそ本当の遭難になってしまうかもしれない。
孤立無援とはこんな状況のことをいうのだろうか。
どれくらい経っただろう。
急斜面を這いつくばるようにして登っていくと、突然、傾斜がなくなり目の前に白いガードレールが現れた。あれだけ探しても見つからなかった車道が唐突にそこにあった。下からでは、階段の踊り場のようになった車道の空間にあるガードレールが見えなかったのだ。
ガードレールを乗り越えて車道に立つと、50メートルほど先にキャンプ場入り口の看板が見えた。
身体から一気に力が抜け、車道にしゃがみ込んでしまいそうになった。
やはり、あの沢はキャンプ場の脇を流れる沢だったのだ。
沢が蛇行していることを考慮しても、あと70~80メートルほど遡ればキャンプ場が見えただろう。
しかし、一度抱いてしまった疑心を最後まで振り払うことができず、自分を信じることができず、夢中で斜面をよじ登るという滑稽な行動をすることになってしまった。
まったくお粗末なことだった。
疑心を抱くことがなければ、(思ったより距離があったな~)という感想だけで済んだはずだった。
それが、ふと(本当にこの上流にキャンプ場があるのか?)、という疑心が芽生えたことにより、(沢の分岐を見落してしまったのではないか)(別の沢に迷い込んでしまったのではないか)、悪い方へ悪い方へと考えを巡らせることになってしまったのだ。
こういう状況も疑心暗鬼というのだろうか。
無事に戻れてよかったという安堵感、カッコ悪いことをしてしまったという恥ずかしさ、人間の感覚なんていい加減なものだなという無力感、そんな思いがごちゃまぜになったまま、トボトボとキャンプ場へ歩いて行った。
「お帰りなさい。釣れた?」
ランタンの明かりに照らされたキャンプテーブルで食事の支度をしていた妻の笑顔を見たら瞬間、なんだか涙が出そうになった。
20年ほど前の真夏の出来事だ。
おわり

