何故企業は社畜を求め、今までいた様な若者は社畜に成らないのか | ゲームクリエイターを目指し(現在ミジンコから

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社会じゃ失敗は許されない。学生は失敗が許される。
成功は失敗を知らない。失敗は失敗を知る。
とにかく行動を起こせ。正し結果として成功は納める必要がある。


http://blog.ameba.jp/ucs/entry/srventryinsertinput.do



上の記事について自分の意見書いていくつもりだったけど

的確に自分の言いたい事を代弁していた人がいたので抜粋しました。


137 :名無しさん@涙目です。(千葉県):2011/04/07(木) 02:26:54.15 ID:jkmJPEYa0

単に戦後日本でのみ発達したサービス残業奴隷制度が、

終身雇用という見返りが崩壊したことによって

成り立たなくなってるだけだろう?




簡単に言ってしまえば、サビ残や契約外労働の黙認的話。

昔はサビ残にやらなくて良いはず(時には建前や法律上上やってはいけない物も含む)が当たり前で、その価値観が根付いている。

しかし何故今更そんな事が浮き彫りになってきたかと言えば、日本経済の安定性等に若者が疑問を抱いているからである。

いつクビを切られるか分からない時代に、サビ残やらの本来求められる給料分の働き以上のものを求めるなら、やはりそれに見合うだけの対価が必要となってきているのだ。

まさに昔は終身雇用がそれだった。クビにならず安心感を与えられ、日本特有の入社期間によって多かれ少なかれ、エレベーター式に着実に上がる給料システムがあった。

しかし今それを実現出来ているのは一握り。特に今入社する若者が先の30から40年先に安心感を抱ける企業等更に更に一握りとなっているのが現在なのだ。

だから今の若者は宇宙人ではなく、今の社会的現在が昔と比べると(今エレベーターで重役の人々が若手時代)別宇宙並に違う訳だ。だからそれに気付かずに強者の側にいる人間というのは順応しようとしている(もぉしているか…)若者が理解出来ない。

問題なのが価値観が停止している事。世界は日々着実に変化します。十年前の価値観等取るに足らないのに、エレベーターで上がっていった人々の多くは三十年以上前の価値観を引きずり続けて、それが今現在の若者の考えと本当に合致すると心のどこかでは思っている訳だ。


幸い自分の場合は、ブログタイトルに分かる様に好きな職業という物を目指している。その為労力の支出と給料がもしも多少不一致となった場合にも上の様な問題はない訳だ。(勿論正当な評価が可能であればそれは成されるべきだが)そこにはやはり別の給料とは別のタイプの報酬というのが確実に存在している訳だ。


もっと極論を言えば、芸人やアイドルなんかは名が売れなければ確実に労力に見合わない給料がやってくる訳だが、それでも出たいんだという人は大勢いる訳だ。こう言えば支出した労力に見合う報酬=給料ではない事が誰にでも分かってもらえたと思う。


そしてそれは今まで多くの一般企業では終身雇用だったりの簡単に集約すれば未来の保障・未来への不安の払拭にあった。未来への希望と不安を天秤に掛けさせて、希望を大きくさせてそれに見合うだけのリターンを企業としては実現してきた。


様は給料+未来への補償等の+α=社員の支出する労力となっていた訳だ。


しかし(下書きしてから時間が開いてしまったので同じ事書いてしまうのだが・・・)現状はその+αが偶像になってきている(勿論企業努力だけではどうしようもない所が大きいのだが・・・)しかし+αのあった時代の人間にとっては、それは深層心理化で当然約束されていた上で伸び伸び働けた訳なので、その+αは誰もが企業に入るならば当然持っている物だと誤解し始めて、その人らがエスカレーターで上がっていき、若手にそれらを提供する側になった時に、+αを当然誰もが所持している物だと自らの経験で誤解しているから、+αを提供されていないにも関わらず、その分の働きを求めるようになった。


そこで出てくるのが妻子持ちだ。言わば人質。自分だけの責任なら人は結構直ぐに投げだせる物。何故ならば一時の感情で動けるから。しかし妻子という第三者が自分の行動次第で生きるか死ぬかとまでは行かずとも、生活水準から来る未来は決まる。だから人質なのだ。


+αも何にも提供しない代わりに、第三者の生活という(恐らくは大切な人でしょう)人質をとる訳だ。それを平気で口にしているこの運送会社社長の発言は恐らくこの人だけの物ではない。むしろこの言葉の問題点は、人質を取ってると言う認識が無い所にある。


人は変化を恐れます。故に未来の変化も恐れます。更に変化というのは良い方向でも悪い方向へのどちらもなのですが、良い方向には結果というのが付いてくるので結果論としては受け入れる事が出来ます。(それまでに抵抗があるかもしれませんが)


だから未来が約束されていれば脳の感情はその事について考える必要が薄いので、精神的に健全でいられる。まぁこれは大げさだけれどもその点については考える必要がないので、マイナス要素は大きく排除されている訳だ。


そこでだ、未来への不安を第三者の生活という所で無理やり天秤を企業側の望む水平にさせるのは、その人がホントに使い捨てになる。何故ならば心が持たないから。精神的に絶対に追い詰められる。まだその天秤に未来への補償が少しでも含まれているなら本当の意味で救いとなるのだが、無ければただ心身共に蝕まれていくだけだ。格言にもある通り精神と肉体は密接にかかわっている事については今さら論議する必要もないだろう。


無理やり別の物で天秤を水平にしたとしても、その内容物が人にとって悪であれば結果は大きく変わる。だって悪だから言い訳ないじゃん。


だからこそ社畜と呼ばれる。未来は精肉工場行きなのに、それでも鎖に繋がれ狭い場所で一生懸命餌を食ってる様な物だと言う訳だ。

後最後にここまで触れていなかったが、未来への不安というのは何も会社の業績だけではない。雇用側と労働者側の信頼関係だ。この人の為ならと思わせられれば、幾分足らない重は解消される。更に個のポテンシャルも発揮されていく訳だから業績は業種問わず現状よりは上がっていく訳だ。


未来への偶像的約束よりも、信頼関係による安心を与える事が現状では優先すべきなのだ。


何故ならば、日本政府には未来への希望が提示されていなからだ。


国民の政治への不信はもはや青天井だ。ただそれで実害をこうむるのもまた我々国民なのだ。


本当に政府の人間は一回根本的な所までデトックスしなければ日本という国は国民の努力を裏切る形で終了するだろう。


現在の日本に、政治家の茶番劇に付き合う体力はもはやないのだから。