本当にありがとうございます。
前の報告記事からも時間が経ってしまい、
申し訳ありません。
ランしゃんの花葬の日が決まりました。
3月2日(土)、午前10時30分に
ランしゃんはお空に昇ります。
泣きながら眠った日には、
夢の中で会いに来てくれたランしゃん。
心配してくれてるのかな。。。
亡くなった日から毎日、
一緒のお布団で眠っています。
そのためか、「まだ一緒に居られる」と錯覚している部分があります。
ランしゃんを納める箱も、お花も、買ってきましたが、全然そういう気持ちになれず。。。
こんなに近くに、傍に居られるなら、心臓や呼吸が止まっていても、全然平気、という気さえしてきます。
ランしゃんがそこにいる、それだけで安心して過ごせる自分がいます。
ここからは、
亡くなる前のランしゃんの様子です。
少々、見ていて辛くなる写真もあるかと思いますので、苦手な方はご遠慮くださいね。
旅立ちの3時間前のランしゃん。
この頃は2時間おきに給餌していたので、わたしも眠くなり、1時間ほど腕枕をして、一緒にお昼寝しました。
2月に入ってから、少しずつ遊ぶ時間が減り、食欲がなくなり、病院へ行きました。
栄養を点滴していただき、帰宅してからは、ふやかしを食べさせる間隔を3時間おきにしていました。
亡くなる1週間前、また、黄疸が出ました。
血液検査で、肝臓数値自体は下がっているのに、黄疸の数値が飛び抜けて高くなっていました。
その日に入院しました。
3泊4日の入院でした。
一時は目がキラキラして、あぁこのまま元気になるかもしれないと思いましたが。。。
お迎えに行った日、ランしゃんは前と違っていました。
ちょっと分かりづらいのですが、ランしゃんのお腹には水が溜まっていました。
点滴の血もなかなか止まらず、腫瘍や癌の子の特有の症状だ、というような事を先生が仰いました。
(ショックすぎてうろ覚えの為、間違っているかもしれません)
そんなに食べなくても、腹水はどんどん溜まり、お腹がパンパンになりました。
腹水を抜くことは身体にもダメージだし、寿命を縮める可能性もあると説明されました。
ですが、ランしゃんが苦しくなく過ごせる時間が長くあるように、腹水を抜く選択をしました。
本当は、1分でも長くランしゃんと過ごして居たかったです。
でも苦しいまま、生きていてもランしゃんは辛いかもと思いました。
苦しい時間を1秒でも短くして、過ごして欲しいと思いました。
ランしゃんの旅立ちが近いことが、なんとなく分かったのは24日の夕方。
19時、すぺめしの食べが悪くなりました。
呼吸も荒くなり、腹水のせいで下半身は動かせなくなっていました。
苦しくなると、上半身をくねくねと曲げて、かわいそうで見ていられませんでした。
20時を過ぎると開口呼吸になり、いよいよ覚悟をしないといけないと思いました。
それでも、お皿からすぺめしを2回ほどペロペロしました。
生きることを諦めないランしゃん。
胸を打たれました。
21時を過ぎると、呼吸の間隔が長くなってきました。
脈が弱くなってきていると感じました。
ずっと目を開けたままだったランしゃん、21時8分に瞳孔が開いたのが分かり、呼吸が止まりました。
そして、その1分後に鼓動が止まりました。
21時9分、旅立ちました。
ここから先は、亡くなったあとのランしゃんの写真を載せます。
ボロボロ泣きながら、ランしゃんの写真を撮りました。
まだ生きていたいと、未練があったのかな。。。
亡くなってすぐの頃は目を閉じることが出来ませんでした。
その後、目を閉じて、お布団にゴロンしました。
可愛い可愛いランしゃん。
かぁしゃんが幸せな時間を過ごせたのは、ランしゃんが傍に居てくれたからだよ。
最期を腕の中で看取ることが出来て良かった。
いくら言っても足りない「ありがとう」の気持ちを、胸に刻み込んで前を向くね。
ランしゃんがくれた優しさを、思いやりの気持ちを、忘れずに生きていくね。
出会えて良かった。
ランしゃん、かぁしゃんの子になってくれて、ありがとう。
ずっとずっと、大好きだよ、ランしゃん。