ICU。
インターフォンで入室許可を得、
ロッカールームで入念に手洗いをし、入る。
中には人がすごくたくさんいた。
(医師・看護師の数が一般病棟の比でない。
病棟の医師は「担当患者を見に立ち寄った」人だが、
ICUにいる医師は概ね「ICU付の」人達。)
人数のわりに静か、そして大きな機材がたくさんある中を、
さくらの個室に向け歩いていく。
思えば、「ICU」という空間に入ったこと自体が初めてだった。
ここだ――――――
こわごわ中へ入る。
部屋の中央に置かれたリクライニング式ベッドの周りは
あらゆる機械で埋め尽くされ、
小さな小さな身体が横たわっていた。
身体からは無数の管がのびており、
人工呼吸器が規則的な音をたてている。
痛々しい姿に思わず息をのむ。
ここにいるのが娘という実感すら、すぐにはもてないほどだった。
よくよく眺めてみると、見覚えのある寝顔をしており、
ああこの子、さくらなんだと思う。
「さくらちゃん…」
声をかけたが、機械音だけが響き渡る空間に吸い込まれて、
本人に届かないような気さえした。
がんばったね…
さくらちゃん、よく長い間耐えたね。
抱きしめてやりたいが、手を触れることすら躊躇われる。
そのうち「処置が入ります」「エコーします」と
次々に医師がやってきて、
我々はその度に待合室で終わるのを待った。
(成育のICUは、スタッフの引き継ぎ時間以外原則として
面会自由だが、処置中は外で待つルールになっている。)
ベッドのすぐ脇には、患者氏名・血液型・体重・
挿管の種類などが記入された紙と 緊急連絡先が貼られていた。
緊急連絡先は、病棟ならスタッフステーション管理。
ICUでは、すぐ連絡できるようベッドに貼ってある。
「病院までの時間 100分」の文字を見、
何かあったらどうしようと気持ちが急く。
術後のさくらの身体にはあらゆるセンサーが取り付けられ、
心電図・呼吸数・血中酸素濃度・血圧・体温など
あらゆる項目が管理下にあった。
それらが規定を少しでも外れると、
ポーン…
という、飛行機内でのシートベルト装着音と同じアラームが鳴った。
その静かな音が、却って不気味だった。
さすが「集中治療室」というだけあって、少しでも
アラームが鳴ると、近くにいる医師が
すぐ飛んでくる体制になっている。
患者と接触するときは、かならずビニールエプロンと
手袋装着する運用らしかった。
術直後のさくらはある程度マークされていたと思われるので、
本当に少しでも何かあれば取り急ぎスタッフが確認にやってきた。
あまりの厳重さに驚きもしつつ、
「この子はいまこれだけの集中管理を必要としている容体なんだ…」
と複雑な気持ちにもなりつつ、一方で安心でもあった。
万全の医療体制に対し、意識のないさくらにとって
私は非常に無力に感じられ、ここはお任せして帰宅することとした。
「さくらちゃん、明日また来るからね。がんばってね。」
そう言い残してICUを立ち去った。
午後10時すぎくらいか…もうこのあたりになると疲労困憊過ぎて
記憶が定かでない。
帰宅時、もう遅かったので光は寝ていた。
母が夕食を作ってくれており、父が私の大好物の
生牡蠣を用意してくれていた。
有難かったが、もう疲れすぎて消えてしまいたいくらいだった。
何もできないまま、リビングの床に横になる。
胆道閉鎖症だったという事実そのもの、
胆汁が出てこなかったという医師の言葉、
ICUのものものしい風景などがグルグルと頭を去来した。
気持ちが整理できなさすぎて誰とも話したくなかった。
見かねた母から、せめて布団で寝るよう促される。
のろのろと重い身体を起こしてメイクを落とし、泥のように眠った。
これまでの人生でも自分なりに辛いことはそこそこあった。
だがそれでもだいたいご飯を流し込み、それを糧として、
翌日からまた奮起できた。
恐らくこの日は、人生史上最大のストレスに
打ちのめされそうになっていた日である。
希望を持って打ち砕かれ、
また希望に追いすがって更に打ちのめされる。
それでも朝は来るのか。