異常に気付いてからこれまでの私。
この子は病気なんかじゃないと信じたい、
だが現実を見て病院へ。
少しでも軽く少しでも良くとひたすら期待しては
裏切られ…
悲しみ、もがき、苦しみ…負の感情が私を支配していた。
なぜ、さくらだけがこんな
苦しい目に遭わなくてはいけないんだろうか。
私が今すぐにでも代わりに死んだって構わないから、
この子を何とか助けてほしい。
一見非常に冷静で、頭の中は知識が整理されていたが、
感情がついていかない。
長男の笑顔に助けられ気が紛れることはあっても、
常に心臓は締め付けられていた。
エリザベス・キューブラー・ロス医師は、
著書"On Death and Dying"の中で
患者が死にゆく過程を
「否認」「怒り」「取引」「抑うつ」「受容」の
5段階に分類した。
難病を受け入れる過程も、
振り返ってみればまさにこのような足跡を辿る。
娘の病状は変わらない。
それどころか肝硬変が徐々に進行し、日々悪くなっていく。
だがここから先、対照的に私の心は落ち着きを取り戻し、
明るい方向を向いて歩きだす。
波はある。悲観することもたくさんある。
でも「行き着くところまでいった」覚悟が、
前をしっかり見据える勇気に変わった。
本編は、まさにその端境期について。
成育には、そこで移植手術を受けた家族による会
「ドレミファクラブ」がある。
以前からその存在は知っていたが、
思い立って問合せ用のアドレスに連絡してみた。
「移植予定者でも入会可能ですか?」と。
すぐに会長のIさんから返信があった。
もちろん入会可能ですとのこと。
そしてIさんのお嬢さんも同じ胆道閉鎖症から
移植を受けた経験があり、
我々の現状を親身に気遣って下さった。
やり取りしているうちに、Iさんのご自宅にお邪魔して
お話して下さるご提案を受けた。
移植後のお嬢さんに会わせて下さるとも。
どこの馬の骨ともわからない私が
家にまでお邪魔したらご迷惑と一度は遠慮したが、
結局、千載一遇のチャンスなのでお言葉に甘えさせて頂いた。
後々振り返ると、
この訪問が本当に大きなターニングポイントとなる。
都内某所、駅で待ち合わせた私をIさんは
明るく迎えて下さった。
聞けば、急遽もう一組移植後の親子に
お声がけ下さったのだと言う。
お宅にお邪魔すると…、6歳の女の子と5歳の男の子が
元気に遊んでいた。
いずれも胆道閉鎖症からの移植経験者である。
私は移植したヒトを見るのが初めてで、
失礼ながらついまじまじと見てしまう。
(ちなみに胆道閉鎖症患者に会ったこともなかった。)
彼らは元気に外へ飛び出し、走り回っていた。
その様子は生まれつき健康な我が家の長男と、
なんら変わらなかった。
IさんとSさんは、アルバムを振り返りながら
病状や受けた治療について話して下さった。
今汗だくになりながら遊ぶ彼らも、赤ちゃん時代は
黄疸が酷く、栄養がとれず痩せ細っていたらしい。
手術に向け、鼻からチューブを入れてミルクを流し、
なんとか微々たる体重を増やす日々。
ところが、移植オペの前後で、
暗い黄色にくすんだ顔色が…
雪のように白くなっていった。
オペ室から出てきた瞬間からもう白くなり始めている。
――移植とは、それだけドラスティックに
身体を変える医療なのである。
お二方はいろいろと、経験者ならではのお話を
して下さった。
内容もさることながら、「私だけじゃないんだ」
という事実に強く勇気づけられた。
これまでどうしても、周りに難病の子などいない為、
「どうしてこの子だけがこんな辛い目に」という、
一種悲劇のヒロイン的な心情から抜け出せなかったし、
ひどく孤独だった。
だけど、同じような状況をかいぐり抜けて、
明るい場所までたどり着いた人たちがいる。
そこへ至るまでの道のりは簡単でないが、
これまであまりにも漠然とした不安感に
さいなまれていたため、一筋の光が射し込むようだった。
外遊びから戻ってきた子どもたちは、
石けんで綺麗に手を洗い、美味しそうにおやつを
パクついていた。
「移植した」と聞かされなければ、パッと見では
絶対にわからないほど「普通」の彼ら。
無言の説得力が、身体から溢れ出ていた。
ついつい長居してしまい、皆さんに御礼申し上げ
慌てて電車に乗った私は興奮していた。
この時から決めた。
本当に、前をしっかり向いて歩いていこうと。