朝一番で来たつもりが、その後は意外と予定がたくさん詰まっていた。
1. 外科の執刀医による説明
2. 麻酔科の診察
3. オペ室からの説明
その他に、点滴ルートを確保したり、明日のスケジュールに
ついて説明を受けたり、 荷物の整理などをしたり。
署名が必要な同意書の類も山ほどあった。
結局夕方になってもけりがつかず、私は光のお迎えで慌てて
病院を後にしたほどだった。
以下、詳しく記録していく。
消化器科Dr.の説明の後は、外科の執刀医による説明だった。
その前の話で私の心の中はまだ落ち着ききっていなかったのだが、
更に軽くカルチャーショックを受ける。
消化器科のDr.は皆、おだやかで優しい印象の先生。
対する外科の担当医は、「ハキハキ」「サバサバ」という言葉が
ぴったりの体育会系だった。
サクサクサクサク、明日のオペの内容について説明が走っていく。
まずは胆道造影をし、もし胆管が詰まっていれば、空腸と
肝門部をRoux-en-Y吻合すること。(葛西術)
術創は、胆道造影だけなら6cmほど。葛西術に移行する際は
それを15cmほどに広げること。
傷は消えないこと。
術後の高カロリー輸液投与のため、中心静脈カテーテルを
首から入れること。
輸血や血漿分画製剤使用の可能性があること。
完全内臓逆位でも手術には問題ないこと。
(結構心配していた。やりにくいんだろうなと。)
葛西術をもってしても、減黄する確率は50%~60%ほどであること。
今日時点では手術予後はまったく予想できないこと。
手術中の所見をもってしてもその後はわからず、
術後の経過観察でのみ明らかになっていくこと。
減黄しない場合は肝移植の適用になるということ…。
胆道閉鎖症かどうかすらはっきりしていない状況で、
さらっと「葛西でダメなら肝移植」とまで
たたみかけられ、複雑な心境というほかなかった。
「でも、最近は移植術も進歩しているので、
みなさん移植して元気になられてますよ」
ウソだ。
「篤ちゃん」の呪縛から逃れきれていない私にとって、
移植=死 というイメージが根強かった。
仮に死を免れたとしても…
重症の病児と日々接している医師の考える「元気」と、
健康な人しかいない世界を見てきた私の
考える「元気」は、きっと天と地ほど違う。
何度も辛い思いして、大量に薬飲んで、あれもダメ
これもダメのルールの中で生きていくなんて…。
いや、今そこまで考えるのはよそう…。
頭に広がる悪いイメージを消し去ろうとする間にも、
説明は猛スピードで進行していった。
手術がまさに日常である外科医と、子どもの手術が初めてという
我々の意識のギャップたるや、そうそう埋まらないものだった。
何と言えばいいのか、
我々は手をついて
「どうか、どうかこの子を助けてやってください…、お願いします!」
と訴えたい、まさにその気持ち。
対する外科医はきわめて平常心。
そんな感情的でウエットな台詞は似つかわしくない雰囲気だった。
「明日、どうぞよろしくお願い致します」
かろうじてそう結んだとき、軽い疲労を覚えた。
さくらは説明の間も親の腕の中で眠っていたが、
絶食が始まっているため だんだんと空腹を感じているようだった。
返す返すも、子どもの絶食は胸が痛む。
本当ならどんどん栄養を摂って、一日一日
身体を大きくしなくてはいけない時期なのに…。
その日の沐浴は、我々にやらせてもらった。
手術で大きな傷跡がついてしまう前の、さくらの最後の姿。
目に焼き付けておきたかったし、こんな頃もあったんだよ
という写真も残してあげたかった。
大きくなったら、気にするんだろうな…。
ただでさえ悩み多き思春期にそんな心配を負わせて
しまうことになるのかと 早くも先取りして切なくなった。
病棟内での撮影は禁止されているが、正直に看護師に
相談したところ、いいですよと 気持ちを汲んでくれた。
この頃のさくらはお風呂が大好きで、
気持ちよさそうにお湯に浸かっていた。
しばらくお風呂もお預けになる。
丁寧に洗い、より丁寧にすすいであげた。
麻酔科診察までの待ち時間。
ベッド脇でさくらを抱いていると、斜向かいのベッドに
医師の一団がやってきた。
その時、患児のお母さんが「あ、K先生!」と言ったのを
聞き逃さなかった。
K先生……
移植外科で一番偉い先生だ。名前を知っていた。
あの子…移植を受けるのか…。他人事とは思えず、凝視してしまう。
K先生はおもむろにスマートフォンを取り出すと、
移植予定の子と記念撮影をして面談室に入っていった。
ずいぶんフランクな先生なんだなと思ったが、後から聞いた話では、
K先生はすべての子どもたちと移植前・移植後に
写真を撮っているそうで。
元気になった子どもたちが、さらに先生のチカラになる。
不運にして亡くなってしまった子どもの写真は、
病院のロッカー扉にずっと貼ってあるとのこと…。
移植。
すごく遠い世界のことだった。これまでは。
このタイミング移植予定の子を目の当たりにするのは…
自分達がこの世界に引き寄せられているようだった。
続く麻酔科では、全身麻酔をかけても大丈夫か診察があった後、
麻酔についての説明があった。
麻酔ガスは、いちごやバナナ・メロン、アイスクリームなどの
香りを選べます、と言われさすが子ども病院だと、
その着眼点に驚かされる。
さくらはまだ好きな果物もないのだけれど。
さらにオペ室のナースが来て、オペ室のおおまかな構造や
当日の流れ、処置などの説明を受けた。
もう夕方か。そろそろ帰らなくては…
光が待っている。
そんな考え事をしていると、急に病室に緊張が走った。
さくらの体温が、39度ほどに上がっている!
もし感染ということであれば明日のオペはできない。
オペをすべきか悩み、やっとオペを受けさせてあげるのが良いと
気持ちを整理しかけているところで
今度は受けられないかもしれないという話に。
展開が急すぎて、頭の芯が痺れた。
病棟の看護師は落ち着いて
「赤ちゃんだから、タオルでくるむだけでも熱がこもって
しまったのかもしれない。
薄着にして、アイスノンあてて、様子をみましょう。」
とテキパキ処置をしていく。
思えば、明日からは抱っこもできないと思うと
なるべく抱っこして安心させてあげたいと思い
今日はずーっと誰かがさくらを抱っこしていた。
それでこもり熱になってしまったのか…、
あるいは感染なのか…?
時間はどんどん過ぎていく。これ以上はここにいられない。
後ろ髪引かれる思いとはこのことだが、私は病室を後にして
保育園へ向かった。
100分かかるその距離が恨めしかった。
明日、どうなるんだろう…。