入院中のさくらがいないリビング。他愛もない話をしている時だった。
私が「さくらちゃん、早くおうちに帰ってこれるといいなぁ~」と呟いた。
すると長男の光はニヤリと言い放ったのだ。


「しゃくらちゃんは、帰ってこれないよ」


ジョークの一環だったのだろう。それはすぐわかった。
だけど、辛うじて穏やかにコントロールされていた

私の心のダムは、一気に瓦解してしまった。
私は文字通り滝のように流れる涙をぬぐいもせず、

必死で言葉をつなぐ。


「光ちゃんもさくらちゃんも、

 お母さんにとっては本当にだいじなだいじな宝物なの。
 お母さんはさくらちゃんが早く元気になって帰ってきてほしい。
 4人で暮らしたいんだよ…」


やばいと思ったが、一番痛いポイントで不意打ちされた感情を

平静に戻すのはもはや無理だった。
わんわん泣きながら、正直な思いの丈を3歳の息子にぶつけた。


息子にしてみれば、母が取り乱した姿を生まれて初めて

目の当たりにしたわけだ。
息子の目もみるみる真っ赤になり、わんわん泣いた。
感情の荒波がおさまるまで、抱き合って泣きに泣いた。
…………

小さいなりに、彼はもう二度とこの手の発言をしてはいけないんだと
肝に銘じたのだろう。
それっきりだった。


かわりに、折に触れ
「しゃくらちゃん、早くおびょうき治るといいねぇ」
「ぼくが、しゃくらちゃんを守ってるんだよ」
と言うようになった。我が子ながら健気である。


ただならぬ状況に直面させて、

少なからず彼もストレスを感じただろう。
さくらはもちろんだけど、

この子のこともケアしてあげないとと痛感した。



きょうだいがいる中での闘病生活は、言うまでもなくかなり大変だ。

ただ、私の場合は光がいることで精神的に助かっている部分も多い。
どんなに状況が思わしくなくても、

毎日きちんとバランスのとれた食事を作る。お風呂にも入る。
保育園で覚えた歌に乗って笑顔で踊る光を見て、私も思い切り笑う。


――病院と家
まったく違うふたつの空間を行き来することにより、

気持ちの切り替えをせざるを得ない。
悲劇のヒロインとして、感傷にどっぷり浸かっている時間はない。


さくらの病院は「完全看護」だ。
小児病棟は24時間保護者付き添いが必須というところが多いが、
夜はさくらをプロにお任せすることができる。

成育を選んだ理由にそれも含まれていた。
(きょうだいがいて24時間付き添いをやっているご家族の苦労は

 想像を絶する。)


とはいえ完全看護は、「泣いたらすぐに抱っこ」を意味しない。
それはできない。泣いても泣きっぱなしになることが実際は多い。
赤ちゃんならおしゃぶりをくわえさせて何とかごまかせる

こともあるけれど…。


さくらにも心細い思いをさせているのは自覚していた。
だから面会中はほぼずっと抱っこしている。
ずっと病室の同じ景色ではかわいそうに思い、

せめて廊下を散歩する。
すっかり「いつも廊下にいる人」で定着した(笑)。

いる間だけでも声を聞かせてやりたいと思い、

話すネタがつきてもずっとずーっと童謡を歌っていた。

「歌声=お母さん」として、一緒にいられる時間は少なくとも、

覚えてくれれば。安心してくれれば。

病棟に居られる時間が限られていればこそ、

全力投球しなくてはと思える。
家では光をたくさん抱きしめてやらねばと思う。
その繰り返しで、ハードながらもうまくバランスは取れていた。


通院にかかる時間もかなり私を悩ませた。
自宅から成育までは、同じ23区内とはいえ片道100分かかる。
毎日3時間以上も空費していると思うとやりきれなかった。


すぐに世田谷区への転居を考えたが、運悪く4月。
光の保育園のことを考えると、引っ越しは無謀というほかなかった。
光が安定してくれているのは、

0歳児クラスから慣れ親しんだ友達の存在も大きかろう。
今じゃない。


転居は中長期的な課題とし、

せっかくなので有り余る移動時間はインプットに充てた。
肝移植について医学生/小児科医向けに書かれた専門書を読んだり。
そこから興味が派生して、免疫学を体系的に勉強したり。
この文章も移動中に下書きしていたものだが、

思考を整理する時間としても活用できた。

いろいろ苦労も悩みもあるが、さいわいにして我が家の場合は
与えられた条件の中でうまくやれた方ではないかと思う。