↑の本読了しました。

 

難解ですが。テーマが面白そうなので買ってみました。

 

内容は要約下記の通りです。

 

分解=死は進化に必須

 

なんで私たちは死ななければならないのだ・・・これは運命ではなく進化のためです。

 

死ぬものだけが進化出来て、今存在している。

 

最初から死ぬようにプログラムされている。・・・これが全ての生き物に必ず死が訪れる理由です・・・生命の連続性を支える源。

 

生が利己的であるのに対し、死は利他的、公共的と言ってよい。

 

これからの新しい生命のために死なないといけない。

 

つまり利他的に死ぬためには、心の覚悟と体の準備が必要、その一番カギとなるのがヒトの「老化」です。

 

ヒトは例外的に寿命が長い。

 

他の大型哺乳類に比べると体の大きさの割にDNAの修復能力がずば抜けて高い。

 

ヒトの場合も55歳くらいまではほとんどガンにはなりません。

 

以降、急速にがんで亡くなる人が増えます。

 

ヒトはなぜ、がん化のリスクを背負いながら、55歳以降の約30年間も生きられるのか

 

一つの理由は、強力な免役機構のおかげだと思います。

 

強固にした要因の一つは十分な栄養のおかげだと言われています。

 

老化の起こる原因は生命誕生から続いている遺伝情報の壊れやすさです。

 

この程よく壊れる過程が死に至るまでの「老化」です。

 

つまり、進化のプログラムは変らない。

 

人生の40%が生物学的には「老後」

 

産むと言う機能を喪失したらある意味老化した「老後」となります。

 

老後のある生物は例外的で普通はない。

 

老後の存在はその種固有の性質。

 

「ヒト」は教育で「人」になる

 

シニア量産の正のスパイラルは現代社会にまで続いています。

 

政治家は政策はもちろん大切ですが刻々と変化する情勢の中で適切に判断していく能力・経験・知識と人を説得できる人間性を持った人を、選ばないといけません

 

常識を打ち破れる型破りな人が時代を変え、時として世の中を飛躍的に進歩させるのです。

 

ヒトの場合、46本ある染色体の23本がランダムに選ばれて精子や卵ができます。

その種類は2の23乗でで約800万通りとなります。

 

それがまた同じだけの種類がある卵と精子とランダムに受精するので70兆種類の受精卵が出来ます。

 

さらに「組み換え」と言って染色体自体を繋ぎ新しい組み合わせを作る仕組みもあり、生物学的に言うとこういう「ガラガラポン」をする仕組みを持つ生き物が、生き残れて来た

 

身体的な遺伝は「運任せ」で仕方がないとしても、「環境」は変えることが出来ます。

 

「環境」の中でも人の形成に、最も影響を与えるのは、言わずもがな「教育」です。

 

幼少の頃の大半を過ごす家庭の影響力が大きいです。]

 

シニアは客観的にその子(人)の個性を発見できます。

 

親にはできない「個性を育てる教育」に適した人材なのです。

 

教育は生きて行く上でのスキルのみならず、希望と勇気とを与える大切な行為です。

 

「死の意味」から考えても、現在の自身の「生」は過去の多くの「死」の結果です。

 

「死」は他者の「生」のためにあると言ってもいいのかもしれない。

 

「老い」は「死」に至る過程であり、利他的で公共性の極みであり、かつ自分たちの将来の姿なのですから。

 

シニアの定義とは「徳のある人」です。

 

定義的には「悪いシニア」いません。

 

つまり「悪いシニア」は「シニア」ではない。

 

いい「シニア」の存在が、人類の寿命を延ばしてきた理由なのだから。

 

「老い」はいいシニアになる為にある

 

老いを感じて死を意識したら、少しずつでも世のため、次世代のためにと言う意識を持つようにしたらそれで十分です。

 

シニアの最大のミッションとして絶対に阻止しなければならないのは、次世代が使う環境を破壊し、資源を枯渇させることです。

 

シニアになり切れていない「なんちゃってシニア」がどうせ自分たちはそのうち死ぬのだから。みんな好き勝手にやりましょう的な発想を持っていたとしたら最悪です。

 

死ぬことは個人にとっては終わりでも、社会や地球の生物全体にとっては終わりではない

 

「なんちゃってシニア」は自分の「古い」価値観を押し付けます。

 

大きな改革に消極的になるのも良くない。

 

これらは明らかに次世代の多様性や可能性を低下させます。

 

組織に優先席はありません。

 

異性に興味がない人も増えて来ています。

 

これが進化の過程の「変化」と言うことになります。

 

「選択」ですがヒトと言う種が生き残るなら、「産みたいヒト、産んでもらいたいヒト」に頑張ってもらうしかありません。

 

この状態が続くとミツバチのような「昆虫化」に繋がります。

 

「産むヒト」は女王バチのようにかなり頑張って産んで貰わないといけないかもしれません。

 

「産まないヒト」は働きバチのように産むヒトを支えることになります。

 

もう一つの選択は、残念なことに人類の絶滅です。

 

ずいぶん先の未来ですが、あり得ることです。

 

出生率は低いままで、理想数も下がって来ています。

 

最悪です。

 

「産みたいヒト、産んでもらいたいヒト」にとっては辛い現実です。

 

一番の理由として教育と子育ての負担の増大です。

 

これは政治的に解決できる問題です。

 

選挙でしっかりいい人を選ばないといけません。

 

そして老化によって引き起こされる病気を減らすことです。

 

科学の力に加えて生活習慣や社会構造の変化で、ある程度達成できる。

 

根拠は、そういう「ピンピンコロリ」的な生き方をする生き物のほうが、自然界では普通だからです。

 

そしてその元気な余生を、少しでも公共のために使ってもらえればよい。

 

老化症状を緩和させる「老化細胞除去」と言う方法があります。

 

歳をとって肝臓や腎臓の調子が悪くなる一つの要因は「老化した細胞の蓄積」によるものです。

 

「老化した細胞」はDNAの傷などで起こる。

 

通常、そのような細胞は死んで分解したり(アポト-シス)、リンパ球に食べられたりして除去されます。

 

この排除機構が加齢に伴ってうまく働かなくなり、老化した状態でそのまま肝臓や腎臓に留まってしまうことがあります。

 

それら「残留老化細胞」は炎症性サイトカインと言う物質を出し続けます。

 

炎症性サイトカインは、通常傷ついたりウイルスなどに感染した細胞が、周りの細胞に炎症を起こさせてリンパ球を呼び込んだり、細胞分裂を促して傷を修復し、組織を守る大切な物質です。

 

それを出し続けることによって炎症が長引くと、臓器が正常に機能しなくなります。

 

イメージ的には、赤く腫れっぱなしの状態のままです。

 

炎症性サイトカインは、がんの発生頻度も高めます。

 

つまり「残留老化細胞」は、かなりの「悪者」」なのです。

 

自殺・・・日本は残念なことに、先進国(G7)では自殺率が一番高い国です。

 

自殺は人特有の「異常な死に方」と言うことも出来ます。

 

シニアは、将来の自分の姿であり、人生のモデルです。

 

シニアが「集団」の中で、自らの寿命を延ばしてきたのも「公共=集団のため」という人の社会の中に居場所を見つけられたからです。

 

居場所は、社会性の動物にとって生きるために必須な要素なのです。

 

教育現場へのシニア人材の投入は、一つの有効な解決策だと思っています。

 

シニアが社会に対して人生最後にできる貢献は、人から惜しまれながら、本人的には、苦しまずに「ピンピンコロリ」と亡くなることかもしれません。

 

哺乳動物には総心拍数に限界があり、それは20億回程度と言われています。

 

実際に寿命が2~3年のハツカネズミも、60年のアフリカゾウも総心拍数は同じくらいです。

 

心臓は言ってみれば消耗品なのです。

 

ピンピンコロリで亡くなるには体力が必要です。

 

シニアが元気に活躍できることが必要です。

 

「老い」をネガティブではなく、一つの変化と捉えて精神的にも肉体的にも「老いずに生きる」ことが出来れば素晴らしいと思います。

 

老いの人生観

 

①元気なときには、本能のおもむくままにやりたいことをやる(公序凌辱に反しない範囲で)

 

②老いを感じ始めたら、少しづつ中心を自分から周りに広げて

 

③「シニア」になり、無理のない範囲で公共に尽くす(次世代の自由度を確保するために自分たちがある程度調整役を担うことが出来るかどうかです)

 

④最後は皆に惜しまれて天寿を全うしてピンピンコロリと死んでいく

 

シニアになってきたら、新しいことを取り込むインプットも必要ですが、これまでの蓄積を吐き出すアウトプットのほうを多くしていくべきだと思います。

 

人から人にしか伝えられない、ある種の「本能を揺さぶるフェロモン」的な効果があるように思います。

 

ヒトは反省するサルである。

 

反省することが出来るサルが、知能を発達させるヒトになったのです。

 

「反省するサル」から反省する必要がなくなった「幸せなサル」になれたわけです。

 

つまり生存本能やそのための逃避行動は、多くの生物に備わっています。

 

死は何のためにあるか。

 

それは進化のためです。

 

進化は何のためにあるのか。

 

それは私たちも含めた地球上の全ての生物の存在理由なのである。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

随分難しい内容の本でしたが、なぜか読み進む内に面白くなり一気に読んでしまいました。

 

私みたいな年寄りにも楽しく引き付けて下さった著者の小林武彦さんに感謝です。

 

この本は私が入院する前に購入しましたが、退院後いの一番に読みました。

 

なぜか、それはテーマに共感を覚えたからです。

 

私自身は未だ76歳になったばかりですが入院したことで死生観が変わりました(死に至る病気ではありませんでしたが入院中、見聞きした出来事も大いに影響しました)。

 

一つは掛け替えのない趣味についても入院前と比べるとある意味距離感を置くようになりました(無理のない範囲でやっていければよいのでこのまま生活して入院前に予定していたモノは時期がズレても出来たらやりたい(死の方が先に来ればそれはそれでよし)。

 

という風に心に余裕が生まれました。

 

私は年金受給者で貯蓄も殆どないけれど世間で言われているような挫折感は全くありません。

 

考え方次第で年金だけでも楽しく暮らせます、贅沢をしなければ(気持ちの贅沢はOK)。