No Nations, No boundry, No color of the skin

No religions, No distinction, No sleep, No ism!

We're a man. World is the one.

It's the answer against ploblems this age has.

Without any fear, we should go the way.

So the first, let's hate the violence of all,

throw away the guns, and stop the nuclear weapons.

This is the message to all over the world.

I wish people could hope the peaceful life.

I'm believer in it.

'White pigeons are dreaming the day they can fly around the sky of freedom.'

自動販売機は日本が世界に誇る’文化’だと思う。

ジュースやタバコをあまりにも手軽に買うことができる。

売り手と買い手の間にあるものはただ一つ、「信頼」だ。

外国ではこんなこと、有り得ない。

街中いたるとこに自動販売機があったら、おそらく暴力の対象となるだろう。

これは、日本という国が安全であるということを意味するのかもしれない。

けれど、何かが違う気がする。

機械がどんどん発達するにつれ、ヒトとヒトの肌の触れ合いが少なくなっていく気がする。

これは、もしかしたらこの国の「不信」の例となっているのかもしれない。

それなりに勉強もしてきたし、それなりに仕事もしてきた。

それなりにやりたいこともしてきたし、それなりに欲しいものも手に入れてきた。

それなりに自分らしく生きてきたし、それなりに自分の主張もしてきた。

けれど、それなりの満足感がない。それなりの充実感がない。

いつも何か足りなくて、その度に何か探したりして。

見つからなくて、嫌になって、自信なくして、すべて投げ出してしまいそうになったりもして。

「焦ってないよ」っていうのは、自分への言い聞かせ。本音ではないというのが本音。

叫ばなければやり切れない思いも、吐き出せずにひきずっている。

変化のない決まりきった日常に倦んでいるくせに、いざその日常から引き離されるような出来事が起こると、面倒くさくて、見えないふりや聞こえないふりをして、日常にしがみついたりしている。

いつになったら、それなりの満足感が持てるのだろう。

これが最近、自分の仕事に対し考えること。自分が望んで選んだということに、後悔はないけれど。

サッカーのヨーロッパのW杯予選での残念な光景。

スイス対トルコ戦でのこと。イスタンブールで行われた第2戦、トルコのサポーター達は、スイスの国家演奏の時、音が聴こえなくなるほど激しいブーイングをした。

スポーツに政治的な要素などを持ち込むことは、断じてならない。とても残念な光景であった。


サッカーに限ったことではないが、日本人のスポーツの応援のマナーは素晴らしいと思う。どんなスポーツでもインターナショナルな対戦では、相手の国の国家が流れているときに決して恥ずかしい真似はしない。相手がどこであれ、ただ純粋に自分の国に声援を送っている。子供も女性も安心して観戦できる。相手の素晴らしいプレーに対しては拍手したりもする。海外では、身の安全すら危うい競技場も存在する。敵の目立った選手にモノを投げたりもする。日本でこのようなことは、ほとんどない。このことは、日本人であることを誇らしく感じる。

日本人は不思議な人種だと思うときがある。ヨーロッパに行ったときのことだ。

そこには、たくさんの日本人観光客がいた。そういうふうに、海外への好奇心は旺盛なくせに、

国境はしっかりと守ろうとする風潮がある。そして、日本に外国人が来ると身構える。

黒人差別やユダヤ人差別が残るヨーロッパに比べ、日本は基本的には特定の差別が少ない国だと思う。

(もちろん、まだまだ差別が残っているが) けれど、この国は一部では単一民族説を唱えられ、これに固執しすぎる傾向が少なからずある。つまり、自分たちとは違うと思ってしまうのだ。たくさんの方面で、「国際化」が叫ばれているけれど、行き過ぎた純血主義は、国際化を阻むだけだ。この偏狭な愛国心は、いつの日か自分たちを苦しめるだろう。

もちろん、自分の国のアイデンティティを大切にすることは重要なことだ。しかし、日本を愛した外国人にもその権利はあると思う。国境を守ろうとする考えは、あまりにも中世的な考えだ。ヨーロッパを訪れた際も、おれたち観光客には、とても親切であった。日本人だからということもあったかもしれないが、日本にヨーロッパの人が来たらどうであろうか、おれは、このとき閉鎖的な国だと日本を思った。

ぼくたちは皆、「いま・ここ」という時空間に縛られながら生きている。

けれど小説の想像力は、「いま・ここ」の中にありながら、同時にその外に出て行くことを可能にしてくれる。

「すでにあったもの」、「いまだにないもの」を自由に想像力の意匠の中に取り組み、現実を変形し、

まだ誰も見たことのないような、まがまがしくも鮮やかな模様を紡いでいくこと、これこそが小説にできるささやかながらも一番大事なことではないか。そんな気がしてならない。

小説が人に与える影響は計り知れない。絵も画像も使わず、ただ延々に続く言葉だけで、ヒトの頭の中に、一つの世界を創っていく。その世界は、あるときはとても小さく、あるときは果てしなく広く大きい。

「情景を自分で創ること」、この能力は、あらゆる分野でも必要なことだ。「考える」ということは、簡単なようで難しい。小説にもし、使命みたいなものがあるのなら、この能力を向上させていくことだと思う。今、自分たちの世代が、著しくこの能力の分野で劣っているということを強く実感している。

01年の秋からのアフガニスタン攻撃の報道を見たときから、この種の報道を見たり聞いたりして、おれたち日本人は何を感じなければいけないのだろう、としばしば考えている。おれは、政治家でも外務官僚でも石油に関わる仕事をしているわけではない。もちろん、軍人でも革命の戦士でもない。戦争から遠く離れた国に住む、普通の社会人だ。

自分が石油を大量に消費する国で安楽に暮らしていることを知らないわけではない。今の世界経済システムの恩恵を受けて日々を送っている身である。貧富の差を拡大するばかりのグローバリズムの問題点を嘆いたところで、ひとりで無人島で自給自足の生活をする勇気なんてない。武力を背景とするアメリカの政治的、経済的な覇権を批判したところで、それ以上のことはできない。

そしてまたどこかで、銃声が鳴り響く。ミサイルという悲しい雨が降る。

日本人は何をすべきなんだろう。残念だが、おれは答えることができない。

No one can do perfectly from the begining.

So you should go without a rush.

But slow going isn't a right method of the life.

The importance is to take a certain will.

You want to fight in higher place, don't you?

You want to join in deeper place, don't you?

Just not for a glory. The fight for myself.

The way you go may be a hardship one.

At that time, face to the enemy, and hold hands with yourself.

Then,surely the light will come to your eyes.

So, Don't say, 'Where is myself ?'

「どこでもなく今はここに。」 すごく好きな言葉。

自分を勇気付けてくれる言葉。励ましてくれる言葉。

生きるのは、過去でも未来でもなく今この瞬間のみ。そんなことを言われている気がする。

当たり前のことを、当たり前だと言っただけの言葉。

シンプルではあるけれど、深い意味を持つ言葉。

それでも、生きることにすごく前向きな言葉。


強く魅かれた言葉です。


現実はいつだってシンプル。難しく見えるのは、人間が複雑化を好むから。

真っ直ぐな希望、たとえば平和。誰もが望んでいるのに実現できない。

国家、権力、地位、秩序、社会、利益、そしてお金。

こういったものを人間が創り出し、よりややこしくした。

世界中の60億人が本能のまま平和を望んだなら、明日にも永遠がやってくる。

笑顔でこっちに向かってくるに決まっている。

どうしてこんなに単純で簡単なことなのに、毎日悪いニュースばかり流れるのだろう。

さらにひどいことは、現代人が複雑化した世界を現実に思っていることだ。

最も大事なことは、文章にすれば、きっと2~3行で終わるはずなのに、誰もが分厚い本にしようとする。

ひとりひとりがそういうものを創るから、より複雑した世界になっていく。

現実はもっとシンプル、もっと簡単で単純。