(8月1日~)


華々しく、4年に1度の祭典、北京オリンピックが始まった。今回はお隣、中国とあって、時差がなく、多くの競技がリアルタイムで見ることが出来た。オリンピックは、やっぱりどんな競技でも、面白いと思う。国と国の勝負、純粋な勝利への想い、そこに嘘なんてない。これこそが、オリンピックの醍醐味なんだと思う。今回も、多くの感動があり、勇気を与えられ、改めてスポーツの大きな力を感じた。残念ながら、今も世界各地で起こる醜い争い、いつだって罪のない市民が犠牲になる無意味な争い、どれだけ文明が発達しても、このような人間と人間の争いがなくならないのであれば、人間の知能はおそろしく低いものだと思う。ただ、解決方法がどこかにあるのであるのならば、それはスポーツの力だと、おれは思う。憎しみあっている国と国の勝負でも、このオリンピックでは、一人のアスリートで、一つのチームだ。国家の事情なんて関係なく、ただ純粋にスポーツの素晴らしさを伝えることで、国家と国家の間に、美しい糸が結ばれるだろう。


「絶対に金メダルを取る!!」と言って、金メダルを取った有言実行の男が日本にはいた。ライバルが誰とかではなく、自分の力を証明するために。テレビの前だからといって、テレビ用のコメントをするわけでもなく、普段の彼の少々ぶっきらぼうな彼自身の言葉で。それが、見ていて、すごく好感を持てた。おそらく、多くの人がそう思ったに違いない。新聞、メディアはこぞって彼を称えた。なぜなら、彼の態度、言葉には’嘘’がないからだ。嘘がないものに人間は惹かれる。それは、スポーツの分野だけではない。’嘘がない本当のもの’。それは、今後のこの国のテーマにしてもいいくらい、重要なものだとおれは思う。


「年齢・経験ではなく、個人としての主張・意見。

 そして、あらゆることに自分の意見・見解を持つこと。」

これは、仕事でのおれのテーマだ。そして、意識していること。朝、電車の中で新聞を読んでいるときから、それは始まる。新聞に書かれている記者の意見に対し、自分は何を考えるのか。同意するだけなら、誰でも出来る。同意しても、その上に自分の考えを重ねなければ、意味がない。もしかしたら、あらゆることに疑いを持って対応していたほうが、良いのかも知れない。批判したり、疑ったり、そういうのは、相手の言葉を注意していないと出来ないことだ。ビジネスにおいて、それが時に大きな意味を持つ局面があることをおれは知っている。どんなに良い人そうに見えても、相手の目をじっくり見て、相手が言う言葉一つ一つに注意を払い、まずは疑い、その人がどういう考えなのか、相手の話が終わるまで集中力を切らすことなく聞く。全てがクリアであると判断して、初めて少し同意する。そして自分の意見を、見解を。いまの仕事を始めてから、このことを強く意識している。なぜなら、おれは、この考えがなかったために、痛い目にあったからだ。ただ、あの時の失敗がなければ、もっと大きな失敗をしていたのかもしれない。そう考えれば、少しは自分自身に説明がつく。どうすればよかったか、そして今後どうするべきか、そういうことを考えることが出来る。


仕事をしていれば、不公平や無理解の局面は、誰にでもある。その時その瞬間は、自分だけが不運であると感じてしまうけれど、冷静になれば、それは誰にでもあることなのだ。この月くらいから、そういう考えが少しずつ出来るようになったが、それまでは恥ずかしながら、誰かのせいにしたり、失敗に対して悲観的になっていたり、そしてそんなふうになってしまう自分自身がすごく嫌いであった。いまでも、おそらくこれからも、嫌なことは当たり前のようにやってきて、おれをネガティブにさせていくであろう。しかし、それは誰にだって同じこと、嫌なことがあった瞬間、ポジティブな気持ちになる人なんていない。大事なことは、そのあとだ。大事なことは、何かが起こったそのあと、どう考えるかなんだ。オリンピック選手のこれまでの努力の話と、自分自身を照らし合わせて、自分には何が足りないか、そういうことを考えていたりした。


本当に何年ぶりかで「夏休み」があった。どこかに行ったりしたわけではないけれど、気持ちの面で、すごく大きかった。主観的に見ていた自分を、違った角度から客観的に自分を見つめなおす、すごく良い時間であったし、意味のある時間であった。あえて、自分自身と距離を置くことによって、見えてくるものがある。休みというのは、肉体の休みという意味だけでなく、精神的にも休むという意味だ。パン屋のときは、このことに気付かなかった。大きく分ければ、たくさん仕事をしている人が偉いという、非常に幅の狭い発想であった。今思えば、非常に安易な発想であったと思う。


8月8日、オリンピックの開会式の日は、おれの誕生日でもあった。大学を卒業しても、パン屋をやめても、忘れずにいつも、連絡をくれる友人たちがいる。相手がどう思うか知らないが、おれは勝手に支えにしている。それは、自分にとって本当に大きな力で、嬉しいことであるから。